【完結】セ・ン・セ・イ
「あと何分か早く気付いていたら。一瞬でも栞里から目を離さなければ。健康な体に産んでやれなかったから。自分のせいで栞里は。……母はそう言って、いつまでも自分を責め続けました」


堪えるように震える声でそう告げた朱莉は、両手でマグを握りしめてじっとその絵柄を見つめた。


たった今彼女を慰めているふざけたギャグ顔の代わりに、俺がその手を握って勇気づけてやりたい――そんな思いが一瞬よぎったが、母さん目の前にそんな行動に出れるほど羞恥心も捨てられないし『慣れて』もいない俺は、ただのヘタレだ。


朱莉の母親の精神を蝕んだのは、娘を失ったショックや喪失感だけではなかった。

――罪悪感。

『運悪く』その場に居合わせたがために、発見が遅れたことを、助けられなかったことを、全て自分のせいにして抱え込んでしまったのだ。

自分のせいで娘が死んでしまったと――自分が『栞里を殺した』と。


朱莉や彼女の父親が母親の異変に気付いたのは、納骨が終わった頃だと言う。

始めは朱莉のことをたまに『栞里』と呼び間違える程度で、時が経てば落ち着くだろうと思われていた。


だが、事態はその予想を覆し深刻になりつつあった。

母親は失った娘と残った娘を混同し、やがて朱莉という外見・栞里という中身の1人の人物を作り上げてしまった。

栞里らしからぬ行動は、病んだ母の精神を傷つける――だから彼女は、家ではずっと妹の人格を演じるしかなくなった。


その内に母親の症状はどんどん悪化し、三者面談やら通知表から窺い知る学校での様子が栞里の人格と食い違うだけでも発狂しそうになる。

こうして学校にいる時でさえも、彼女は自身の人格を表立たせることが出来なくなってしまったのだ。
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