今宵、闇に堕ちようか
「酒の席はついつい盛り上がってしまうからね。いやあ、誤解とけてよかったよ」と満足な笑みを浮かべて花森社長がハナモリ接骨院を出ていった。
 俺と真田で頭を深々とさげて、社長の送り出した。隣で真田の頭が起き上がると、俺はじろりと睨み付けた。

「次は無いと思え」
「言い当てられたからですか?」
「なにを?」
「枕営業」
 大柄な真田がにやりと勝ち誇った表情をする。

「馬鹿か? 枕営業しなくても、俺の場合は患者はくるんだよ。お前と違って俺は顔がいいからな。抱かなくても、顔を見にくるんだ。枕営業ってのは、もともと顔に自信がないやつが、テクニックで人寄せするためにやるんだよ。お前みたいなやつが実績ほしさに女を抱いてここに呼ぶのが枕営業の本来の意味だ」
 俺はドンっと真田の胸を押した。

『ちっ』と真田が舌打ちをするのが背後から聞こえてきた。
 悔しいだろうよ。だが、いくら年下でも上司に噛みついたんだ。俺より年上なんだから、上司をたてることを覚えろ。

「黒野さん、話があるから。院長室にきて」
「あ。でも……。今夜は早く帰らないと」と玲子が時計に目をやった。
「院長室」と低い声で、もう一度指示すると俺は院長室に一足先に入っていった。

 30秒ほど遅れて、玲子が肩を縮めて入ってきた。
「祐、なにか誤解しているみたい。あたし、何も……」

「黒野さん、話は簡単。上司をたてる気がないなら、いつでも辞めてもらって結構だから。スタッフ同士、仲良くやっていく気のない人間に受付にたってもらう資格はない」

「ちょっと待って。私がいなくて困るのはそっちでしょ」
 玲子が一歩詰め寄って、肩を持ち上げて目を吊り上げた。

「俺は困らない」
「困るわ、絶対に。根本さんは受付の唯一の社員だけど、頼りないし、お金の計算ミスしてばかり。パートの水嶋さんだって、新患対応ができないのよ。私ししかオールマイティにできる受付はいないの」

「根本さんもオールマイティに仕事できる。水嶋さんだって、新患対応はしなくて良いと俺から言ってあるからやらないだけだ。黒野さんがいなければ、受付がまわらないわけじゃない」

「なにそれ」
「事実をいったまで」
 玲子が唇をかみしめた。俺は椅子に座って、背もたれに寄り掛かると、玲子から視線を外す。

「もういいよ。忙しいんでしょ? 早く帰らないと」
 俺は院長室から出ていってもらうように、ドアに手を向けた。

「信じてもらえないだろうけど。私は何もしてないから。真田先生が勝手に……」
「はいはい。お疲れ様でした」
 俺は椅子を回転させて、玲子に背を向けた。

 言い訳など聞きたくない。どうせ嘘だろうし。俺に許してもらいたいがための嘘なんて、興味ない。
 事実がわかった今、玲子がなにを言うと俺には響かない。届かない。


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