今宵、闇に堕ちようか
「ねえ、起きて」という声を聞こえたような気もするが、知らない。聞きたくないから、聞こえないふりをする。

 三分ほど粘っただろうか? 車から女が離れていくヒールの音がした。

 目を開ければ、ちょうど車道を駅方向に向かって走り去ろうとするタクシーを呼び止めて、女が乗り込んでいくのが見えた。

 これで安心だ。今夜は好きに行動できる。タクシーでわざわざ時間をつぶして、戻ってはこないだろう。

 俺はポケットからスマホを取り出すと、ラインのアプリを立ち上げた。

『黒野玲子。寝たふりでしょ?起きて』

 トークのトップに、ほねつぎの受付でパートしている黒野玲子のコメントがある。

 ハナモリの入り口の向こう側で、何度も打っては送信していたのだろう。

 これを開いたら、既読になってしまうからスルーする。4段目にある『水嶋さえこ』を指先でタッチする。

『じゃ、9時に』が最後のコメントになっている。

『かえんのか?』と打つと、送信した。

 すぐに既読の文字がつく。スマホを持ったまま、帰宅していたのだろう。

『帰るよ』と返事がすぐにくる。

『かえんのか?』ともう一度。
『寝てたじゃん』
『ねたふり』
『ケーキ食べたかったな』

 ケーキ?

 冷蔵庫にあった2種類のホールケーキが入った箱を思い出す。

 俺の誕生日に、と玲子が1つと施術スタッフの斎藤結衣が一つ、合計2つのホールケーキを買ってきていた。

 そのうちの一つを、さえこにあげる約束をしていたのをすっかり忘れていた。

『かえんのか?』とラインをもう一度送信。
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