強引社長の甘い罠
宿泊しているホテルのスイートルーム、豪華な調度品に囲まれたリビングルームのソファで、私と祥吾、そしてメイソンさんが対面して座った。浜本さんはいない。おそらくリビングの外で待機しているのだろう。
昨夜はこの部屋に泊まり、今朝だってすぐそこのテラスで朝食を摂ったはずなのに、相変わらず豪華な部屋に私は落ち着かずソワソワしてしまう。けれど私の隣に座る祥吾も、向かい合っているメイソンさんも、とても落ち着いていて、この部屋にぴったりと合っていた。
祥吾についてはもうわかっていたけれど、メイソンさんもこういった贅沢な環境に慣れている、つまりそれだけの財産を持つ人物だということだ。
「唯、改めて紹介しよう。彼はルーク・メイソン。俺が父親から継いだ会社『JCラインズ』のCOOだ。いや……少し前まではそうだった」
私は首を傾げた。だった、ということは今はそうじゃないということだ。メイソンさんは少し前までは祥吾の会社のCOO――最高執行責任者、つまり企業のナンバー2だったということだ。そして、今はそうじゃない。
「退職、されたんですか?」
おずおずと聞いた。本当はそうじゃないかもしれないと思いながら。良平とランチに行ったとき、祥吾の会社の事情を少し聞いた。重役の誰かが会社のお金を横領したらしいと良平は言っていた。もしかしたら、その誰かとはメイソンさんなのかもしれない。
そうじゃないといい、と願いつつ私はメイソンさんを見つめた。彼はやっぱり悲しそうに笑った。
「解雇されました。当然のことです。私は……」
「唯を傷付けると言ったんだ!」
突然、祥吾が声を荒げた。歯を食いしばり、メイソンさんを睨みつけている。今にも彼を殺しかねない勢いだ。私はたじろいだ。急に、どうしちゃったの? 私を傷付けるってどういうこと?
「お前は唯を狙っていた。もちろん、本気かどうかはわからなかった。だけど俺は備えずにはいられなくなった。お前は、俺に復讐をしたかったんだ。俺が援助を断ったことでユリさんが亡くなったから……だからお前は俺の大切なものを狙ったんだ。俺のこの世で一番大切なものを……」
祥吾が膝の上で作った拳が震えている。必死に落ち着こうとしているのだろう。
胸が熱くなった。そして困惑もした。
詳しい経緯はわからないけれど、祥吾は私を見捨ててはいなかった。彼は私を守るために、私を遠ざけ、私を見張らせた。祥吾がこの世で一番大切なものは私だと……彼が言うのを、今この耳で、ハッキリと聞いた。それに、ユリさんというのはメイソンさんの奥様なのだろう。彼女が亡くなったことに祥吾が絡んでいるらしい。
彼の震える拳に右手を置いた。そっと包み込むと、彼はハッとしたように私を見下ろした。
「祥吾……」
彼の瞳が切なげに細められる。空いた手で私の頭を抱き寄せると、額に軽くキスをしてから自分の額を私の額に擦り合わせた。
「君が大切なんだ……何よりも」
目を閉じてそっと呟かれた言葉は、最高の愛の言葉だった。私は声にならなくて、頷くことしか出来なかった。すると祥吾は、両腕を私の背に回し、本格的に私をきつく抱きしめた。私は彼のすでに汗が引いたグレーのシャツの胸元を、皺になるくらいきつく握り締め、体をすり寄せた。
「あの時の私は本当にどうかしていました」
メイソンさんがぽつりと呟いた。
私たちは抱き合っていた腕を緩めるとメイソンさんに向き直る。祥吾は左腕を私の背中から腰に回すと、私をしっかりと自分に引き寄せた。
メイソンさんはそんな私たちを愛しい者を見るような目つきで眺めている。
「妻を失った悲しみで誰かを責めないではいられなかった。そして私は……もっとも言ってはいけないことを言ってしまった。ショーゴがユイさんをどれだけ愛しているか、私はずっと傍で見てきたから知っていました。君のお父さんとはずっといい友人だった。君が会社を継ぐためアメリカに来るずっと前から、私は君を知っていた。何度も写真を見せられていたからね。そしてショーゴ、君も同じだった。ずっとユイさんの写真を大事に持っていて……ある時期から人が変わったようになってしまったけれど、それでもその写真だけは大切に持っていたのを私は知っていた。私は、君を一番追い詰める方法を知っていたんです。私はまた罪を犯した」
「ルーク……」
「本当に、申し訳ないことをしたと反省しています。お二人には特に……謝ってすむ問題ではありませんが、どうかこのとおり……許していただきたい」
「ルーク、一つだけ教えてくれ。君は本当に唯を傷付けるつもりだったのか?」
メイソンさんが首を振った。
「いいえ。あの時はどうしてあんなことを言ってしまったのか、自分でも不思議なくらいです。彼女を傷付けるつもりは毛頭ありませんでした。ただ、ユリが亡くなったことを誰かのせいにしたかった。そうすることでしか自分を支えることが出来なかった。私がショーゴに援助をお願いしたとき、ユリはもう既に手遅れだったんです。だから本当は誰にもどうしようもなかった……」
「そうか……」
私の腰に回っていた祥吾の手に力が篭るのがわかった。彼はゆっくり頷いた。
「国に帰って出頭します」
そう言ってメイソンさんが立ち上がったので、私も立ち上がろうとした。けれど私の体に回っていた祥吾の腕がそうさせなかった。
私たちは座ったまま、メイソンさんが日本式に、深々とお辞儀をして静かに去っていくのを見送るだけだった。後から祥吾に聞いたらメイソンさんには浜本さんが付き添っていったらしい。
祥吾はその後しばらくソファに座ったまま、ずっと何かを考えていた。
私は彼にかける言葉が見つからなくて、彼をそっとしておいたけれど、夜になり私がベッドに入ってしばらくすると祥吾がやって来た。私がそのまま目を閉じていると、彼がベッドの縁に腰掛ける気配がして、横たわった私の髪をそっと撫でた。
「ごめんな、唯……。愛してる」
そう囁いた祥吾が、私の額にキスをしたのは夢ではなかったのかもしれない。
昨夜はこの部屋に泊まり、今朝だってすぐそこのテラスで朝食を摂ったはずなのに、相変わらず豪華な部屋に私は落ち着かずソワソワしてしまう。けれど私の隣に座る祥吾も、向かい合っているメイソンさんも、とても落ち着いていて、この部屋にぴったりと合っていた。
祥吾についてはもうわかっていたけれど、メイソンさんもこういった贅沢な環境に慣れている、つまりそれだけの財産を持つ人物だということだ。
「唯、改めて紹介しよう。彼はルーク・メイソン。俺が父親から継いだ会社『JCラインズ』のCOOだ。いや……少し前まではそうだった」
私は首を傾げた。だった、ということは今はそうじゃないということだ。メイソンさんは少し前までは祥吾の会社のCOO――最高執行責任者、つまり企業のナンバー2だったということだ。そして、今はそうじゃない。
「退職、されたんですか?」
おずおずと聞いた。本当はそうじゃないかもしれないと思いながら。良平とランチに行ったとき、祥吾の会社の事情を少し聞いた。重役の誰かが会社のお金を横領したらしいと良平は言っていた。もしかしたら、その誰かとはメイソンさんなのかもしれない。
そうじゃないといい、と願いつつ私はメイソンさんを見つめた。彼はやっぱり悲しそうに笑った。
「解雇されました。当然のことです。私は……」
「唯を傷付けると言ったんだ!」
突然、祥吾が声を荒げた。歯を食いしばり、メイソンさんを睨みつけている。今にも彼を殺しかねない勢いだ。私はたじろいだ。急に、どうしちゃったの? 私を傷付けるってどういうこと?
「お前は唯を狙っていた。もちろん、本気かどうかはわからなかった。だけど俺は備えずにはいられなくなった。お前は、俺に復讐をしたかったんだ。俺が援助を断ったことでユリさんが亡くなったから……だからお前は俺の大切なものを狙ったんだ。俺のこの世で一番大切なものを……」
祥吾が膝の上で作った拳が震えている。必死に落ち着こうとしているのだろう。
胸が熱くなった。そして困惑もした。
詳しい経緯はわからないけれど、祥吾は私を見捨ててはいなかった。彼は私を守るために、私を遠ざけ、私を見張らせた。祥吾がこの世で一番大切なものは私だと……彼が言うのを、今この耳で、ハッキリと聞いた。それに、ユリさんというのはメイソンさんの奥様なのだろう。彼女が亡くなったことに祥吾が絡んでいるらしい。
彼の震える拳に右手を置いた。そっと包み込むと、彼はハッとしたように私を見下ろした。
「祥吾……」
彼の瞳が切なげに細められる。空いた手で私の頭を抱き寄せると、額に軽くキスをしてから自分の額を私の額に擦り合わせた。
「君が大切なんだ……何よりも」
目を閉じてそっと呟かれた言葉は、最高の愛の言葉だった。私は声にならなくて、頷くことしか出来なかった。すると祥吾は、両腕を私の背に回し、本格的に私をきつく抱きしめた。私は彼のすでに汗が引いたグレーのシャツの胸元を、皺になるくらいきつく握り締め、体をすり寄せた。
「あの時の私は本当にどうかしていました」
メイソンさんがぽつりと呟いた。
私たちは抱き合っていた腕を緩めるとメイソンさんに向き直る。祥吾は左腕を私の背中から腰に回すと、私をしっかりと自分に引き寄せた。
メイソンさんはそんな私たちを愛しい者を見るような目つきで眺めている。
「妻を失った悲しみで誰かを責めないではいられなかった。そして私は……もっとも言ってはいけないことを言ってしまった。ショーゴがユイさんをどれだけ愛しているか、私はずっと傍で見てきたから知っていました。君のお父さんとはずっといい友人だった。君が会社を継ぐためアメリカに来るずっと前から、私は君を知っていた。何度も写真を見せられていたからね。そしてショーゴ、君も同じだった。ずっとユイさんの写真を大事に持っていて……ある時期から人が変わったようになってしまったけれど、それでもその写真だけは大切に持っていたのを私は知っていた。私は、君を一番追い詰める方法を知っていたんです。私はまた罪を犯した」
「ルーク……」
「本当に、申し訳ないことをしたと反省しています。お二人には特に……謝ってすむ問題ではありませんが、どうかこのとおり……許していただきたい」
「ルーク、一つだけ教えてくれ。君は本当に唯を傷付けるつもりだったのか?」
メイソンさんが首を振った。
「いいえ。あの時はどうしてあんなことを言ってしまったのか、自分でも不思議なくらいです。彼女を傷付けるつもりは毛頭ありませんでした。ただ、ユリが亡くなったことを誰かのせいにしたかった。そうすることでしか自分を支えることが出来なかった。私がショーゴに援助をお願いしたとき、ユリはもう既に手遅れだったんです。だから本当は誰にもどうしようもなかった……」
「そうか……」
私の腰に回っていた祥吾の手に力が篭るのがわかった。彼はゆっくり頷いた。
「国に帰って出頭します」
そう言ってメイソンさんが立ち上がったので、私も立ち上がろうとした。けれど私の体に回っていた祥吾の腕がそうさせなかった。
私たちは座ったまま、メイソンさんが日本式に、深々とお辞儀をして静かに去っていくのを見送るだけだった。後から祥吾に聞いたらメイソンさんには浜本さんが付き添っていったらしい。
祥吾はその後しばらくソファに座ったまま、ずっと何かを考えていた。
私は彼にかける言葉が見つからなくて、彼をそっとしておいたけれど、夜になり私がベッドに入ってしばらくすると祥吾がやって来た。私がそのまま目を閉じていると、彼がベッドの縁に腰掛ける気配がして、横たわった私の髪をそっと撫でた。
「ごめんな、唯……。愛してる」
そう囁いた祥吾が、私の額にキスをしたのは夢ではなかったのかもしれない。