強引社長の甘い罠
「お疲れ様です」

 そう言って聡が立ち上がると、祥吾もハッとしたのか慌てた様子で「お疲れさま」と返事をした。私も急いで立ち上がる。

「井上くん、今日はありがとう。助かったよ」

 祥吾が聡にお礼を言った。聡はその言葉に一瞬ムッとした表情をしたように見えたが、気のせいだったかもしれない。すぐにいつもの穏やかな表情に戻ってしまった。
 そもそも、お礼を言うのは私であって、祥吾ではない。祥吾は私のミスをフォローしてくれただけなのだから。それでも頼んだのが祥吾である以上、彼はお礼を言ったのだろう。

「いえ、お安い御用ですよ。そもそも俺の彼女のミスですからね。俺こそ、申し訳ありませんでした」

 聡は、私が聡のものであることをわざと強調するように言った。それは社長である祥吾にわざわざ言う必要はない情報だ。祥吾にも伝わったのだろう。彼が一瞬顔を強張らせたように見えた。

 けれどそれはきっと私の自惚れだ。私のこうであったらいいのに、という願望がそう思わせたのだ。だって、彼は私のことを覚えていない。

「七海さん、この後、今日のことで少し話したいことがあるんだけど、時間は取れるかな?」

 祥吾が穏やかな声で尋ねた。
 今日のこと。それは今日の私の失敗のことだろう。彼の表情からは怒っているようには見えないけれど、それは表向き。叱責されるに違いない。

「……はい」

「ありがとう。じゃあ帰り支度が済んだら、僕のオフィスまで来て欲しい」

 そう言い残した祥吾は、エレベーターホールへと姿を消した。やがてエレベーターのドアが開く気配がする。祥吾が立ち去ったのを感じ取った私は、聡の前で大きな溜息をついた。

「……唯」

「大丈夫、叱られて当然だもの。私、行ってくるね。聡、今日は本当にありがとう」

 弱々しく微笑むと、聡は何か言いたげな素振りを見せたが、やがて「ああ」と頷いた。
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