【いつきの小説講座】
キーワードが“メール”であるというのはどういうことか。

それは単に“メールで良く使われている”という意味だけではありません。

厳しい物言いをすると、


『メールであって“小説ではない”』


ということなのです。

絵文字、顔文字、記号を駆使した表現などは最近特にその方法や種類が豊富になり、ある種一つの文化、言語、表現手法として確立されているように私は思っています。

それはつまりかなり多くの人の中でその表現手法が受け入れられてきたということに他なりません。

しかし。

それはあくまでメールやネット上での書き込みにおいてのこと。

『小説』という分野ではいまだそれは描写と呼ぶにはあまりに幼稚といわざるをえない状態にあります。

これは何も“御高くとまっている”つもりでいっているわけでは(少なくとも私は)ありません。

では何故、その行為を避けるべきかといいますと。

それが“描写力向上の阻害”につながるからなのです。

確かに、先に挙げた手法はあたかも圧縮言語とでもいうような極端に短い表現で人物の心情を表すことができますが、しかしそれに頼ってばかりでは細やかな心の機微を言葉で表すという本来の描写力を鍛えることができないのです。


それは能力の低下ではなく、成長ができないということ。

今の新しい作家の方々に私はそれを強く伝えたいのです。
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