楓の樹の下で
ボクは一年生となった。
いろんなことが出来る。
世界が広がるんだ。
今までのボクの世界はあの狭い部屋の狭い押入れの中だった。
トイレの時とアイツが家にいない間の数時間は押入れから出ることが出来た。
バレないように残り物を食べて生きてきた。
毎日三回温かい御飯を作って出してくれる向日葵はボクにとって、それだけで天国だった。
お風呂は二週間に一度入らしてもらえるかどうかで、運が悪ければ一ヶ月入らしてもらえないこともあった。
そんなときは体のかゆみは酷く、血がにじむ程かきむしることもあった。
隠れて入れると思うかもしれないけど、一度そうして死ぬかもしれないと思うほど殴られ蹴られてからは絶対にしなくなった。
たまに早くアイツが帰ってきたときも地獄だった。
押入れから出てきてるボクを見つけると罵倒と暴力の嵐だった。
そんなアイツは決まってその後泣きながら謝ってきて涙を流していた。
ボクが泣かないでと、近付くとピタッと泣くのを止め押入れと押し込んだ。
最初は優しくていつも笑顔でボクの自慢の母親だった。
でも、ボクが四歳になったころ、あの男と出会ってからアイツは変わっていったんだ。
ボクが邪魔だと言い殴りだした。
それから五年間、ボクは耐えた。
いつかはあの優しい母親に戻るのを信じて。
でもあの日アイツは死んだ。
血だらけのアイツを見てボクの全ては終わったんだと思った。

なのに、今は助けられ学校に通えるようになった。

これからボクはいっぱい学び、いっぱい幸せになるんだ。
死んでしまった母親の分も。


先生が扉を開けて入ってきた。
あれが担任なんだとわかる。
女の先生か、あの先生も向日葵の人たちみたいに、優しい感じがする。
きっと、いや確実にボクのこともわかってるだろう。
ボクを見た。なにかを確認すると、またボクを見る。
名前と、ボクを一致させた。そんな顔をしている。
母親の顔色を伺う生活を五年間していたんだ。大抵の大人の表情から、何を考えてるかがわかってしまう様になっていた。

式が終わってから名前を呼ばれて行く。
好きな事……そう言われて考えた。
何も思い浮かばない。
向日葵での出来事を思い出す。
そういえば大毅が××レンジャーが好きで、いつも見ていたことを思い出した。
これでいいやと、ボクの名前を呼ばれた後答えた。

全員の自己紹介が終わって、みんなが帰って行く。
ボクは先生に確かめたいことがあって、最後まで残っていた。
先生が廊下から戻ってきてボクを見つけると体をビクッとさせた。
ボクは先生に近寄り事件のことを聞いた。
先生はしゃがんでボクと視線を合わせると優しく言った。
ボクはボクだと言った。
ボクには少し難しかったけど、先生が言いたい事はわかったから、帰ることにした。
廊下に出ると先生は見送り気をつけて帰ってと言ってくれた。
あの先生は大丈夫。
ボクに優しくしてくれる人だと思った。

ボクを傷付けない大人だと。
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