楓の樹の下で
第二章 “暗闇”
なにかに起こされたような気がして目を開けた。
真っ白な天井。少し軋むベッド。顔を少し倒すとカーテンが閉められた大きな窓。
眩しすぎて、目を細める。
ここは……。

シャーっとカーテンの開く音がして女の人が立っている。

「えっやだ…待ってて先生呼んでくるからね。」

そう言うと女の人は急いで部屋を出て行った。
あの格好はどこかで…あっそっか、ここは病院か…と、納得する。
オレはなんでここにいるのかと考える。
でも、答えが出る前に慌ただしく先生や看護師が入ってきた。

「君は誰だか自分でわかるかい?」
先生がオレに問いかける。
『誰…誰って誰だ??』
反応を示さないオレに更に聞いてくる。
「何処に住んでたとか、何歳とかわかるかい?」
『オレは……誰でなんでここいる?』
自分に聞いても頭の中は黒く靄がかかった様に答えが出てくることはない。
「すぐにMRIを!」
先生は看護師に指示をした。
看護師がストレッチャーを耳触りの音を立てながら運んでくる。
1.2.3と、掛け声と共にオレの体をストレッチャーへと移す。
ガタガタと不快な振動させながらオレの体を運んで行く。
どっかの一室に運ばれ、またしても体を移動させられ、デカイ筒に機械が体を押し込んで行く。

『一体なんなんだ。静かに寝かせくれよ』

なにもかも不快でたまらなかった。
スピーカーから男の声がする。
「ちょっと間、動かないでね」
『うるさい。言われなくても動いてないだろう』
頭の中は黒くドロドロしている。金属同士を叩きつけてるような音が起きてからずっと鳴響いている。
機械が動きまた、ストレッチャーへと移動させられ病室へと戻った。
病室戻った後代わる代わるいろんな先生がやってきては、質問を繰り返し去っていく。
けれど答えなどまだ出ない。自分がわからないんだ、何を話すことがあるというのか…。
それから先生の説明を受けた。

どうやらオレの体は問題なく、精神的ショックによる一時的な記憶障害を起こしてると先生は言った。
精神的ショック……と、言われても何がショックだというのかさえ、オレには、思い出せないでいる。
自分の名前さえわからない奴がそんなこと、わかるわけがない。

昼を過ぎ一人のおっさんと一人の女がきた。
その二人は警察だと名乗った。
そばには先生と看護師もいてオレたちを見守っている。

「目を覚ましたばっかりですまんなぁ。少し聞きたい事あって来たんやけど。ボクはホンマに自分の事わからんのか?」
『うるさい。どうせ、そこの先生に聞いてるだろう。』
「そっか、ほな何処の子や?」
『それも聞いただろ』
「う〜ん、参ったなぁ」
頭を掻きながら男はうなだれた。
「青木さん、これ以上は聞いても…」
もう一人の女がおっさんに話しかける。
「そやな、なんか一つでも手掛かりあればと思ったんやけどなぁ」
また頭を掻きながらオレを横目に見た。
『そんな目で見られても…』
と、思った。

「ほな、一旦帰りますわ。もし少しでも変わった事あれば連絡下さい。」
おっさんが先生にそう告げると、またな、とオレにも声を掛けて病室を後にした。
「今日はありがとう。怖い感じの人だけど、あの人優しい人だから」
そう言って女の警察が少し笑った。
「君は何も覚えてなくて苦しいだろうけど、私たちは少しでも早くお家に帰してあげたいの。だからまたお話し聞かせてもらうかもしれないけど、いいかな?」
さっきのおっさんと違ってこの女は優しい印象だと感じた。
この女はオレを心配しているのだと、思った。
オレはうんと、頷いた。
「そっか、ありがとう。それじゃまたね。」
そう言ってオレの頭を撫でた。
その手は温かく不思議と不快ではなく、なんだか知ってる温もりだと感じた。
そう思った自分が何故かわからなかった。
女はおっさんを追いかけ病室を出て行った。その後を先生たちも出て行く。
やっと一人になったと体の力がふっと抜ける。
そのままベッドに寝転び天井を眺める。
考えがグルグルと渦を巻く。どれだけ考えても、自分に聞いても答えがでない。
答えが出ないのにまた考える。それの繰り返す。頭がガンガンと音立てて邪魔をする。
邪魔をしようが何しようが答えなど出てこないのに、いっそう音は激しくなる。
頭を押さえつけ音を止めたくて暴れる。
腕に刺された針が勢いで外れ、点滴が倒れる。音に気付いた看護師が慌てて入ってくる。続けて先生が入って来て何かを腕に刺した。
すると嘘みたいに頭の音はなくなっていき、意識が次第に遠退き先生たちの声は途切れ途切れになり、プツンと切れた。


まただ、誰かに起こされた感覚で目が覚める。やっぱり真っ白な天井を眺める。
あぁそっか、オレ暴れたんだと思い出す。とたんに、腕がズキンとした。
点滴が刺さってたとこだと気付く。目をやると、新たに少し場所を変え点滴がされていた。
数分経ったか、若い看護師が来て言った。
無理に思い出す必要はないと。
そんなこと言われてもも無理だと思った。
やっぱり自分が誰なのか気になるし先生が言っていた精神的ショックってやつも気になるから考えてしまう。
また頭がズキンと音を立てた。
とっさに頭を押さえたオレを見て看護師は言葉を続ける。
「今はね夜中の三時回ったとこかな。朝まで少しまだ時間あるし、もう少し寝ようね。」
そう言ってオレの胸のあたりをリズムよくトントンと優しく叩く。
オレはなんだと思い看護師を見た。
看護師は優しく微笑んで
「ボクが眠るまでそばにいるから。」
その優しい声がスッと染み込んでオレは素直に眠りについた。

目が覚める。そばにはすでに看護師がいて点滴をさわっていた。
眠りつかせてくれたあの看護師と違って少し歳のいった看護師だった。
「あっ起きた?あれから一日経ったのよ。」
この看護師も優しい雰囲気のある人だと思った。
不意にお腹が鳴った。すると、看護師が笑って
「そっかそっか、お腹空いたよね。待ってて朝は無理だけど昼から食べていいか聞いてくるから。」
不思議そうにしていたのだろう。看護師は目線を下げ話を続けた。
「ほら、ずっと御飯食べてなかったでしょ?急に食べるとボクのここがびっくりしちゃうときがあるの。」
そう言ってオレのお腹をさすった。
「だから御飯っていっても最初はお粥だと…お粥わかる?」
コクンと頷く。
「最初はお粥になるけど、ボクみたいに若ければ元気になろうとする力もあるから、大丈夫よ。じゃ、ちょっと聞いてくるから待っててね。」
そう言うと病室を出て行った。
そっか、考えたらお腹空いたとまた思う。さっきより大きな音が鳴る。誰が聞いてるわけでもないのに、恥ずかしくなってお腹押さえた。
程なくして看護師が戻ってきた。
「やったよぉ!お昼から食べていいよって先生がOKしてくれたよ!」
嬉しそうに病室に入ってくる姿に胸の奥が温かく感じた。それがなにかはオレにはわからなかったけど。
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