恋するキオク
新学期が始まったらしい。
でもオレは学校に行くことはせず、日中はあの部屋でひっそりと過ごし、夜になれば店に降りてきて少しだけ沢さんと会話をするということを繰り返していた。
今日も夏の名残りの暑い日差しは、ブラインドの隙間をいくつものラインで通り抜けて
風とともに、閉じたままのピアノを照らしている。
「あの子たち最近来ないねぇ。善矢くん、茜さん…だったかな」
「さぁ…、弾けないオレになんて興味ないんじゃない。……でも沢さんがこの部屋に上がってくるなんて珍しいね。なに?」
「うん、ちょっと借りてたものを返しにね…」
そう言って沢さんは見覚えのある分厚い本をピアノの上に置いた。
「あぁ、それ。前に曲を作るとき使ったんだ。読んだの?」
「日中は店も暇だから。知ってる話だけど久しぶりに読んだ。悲しい話だね…、でもとても前向きな話だ」
「どこが」
オレは少し不機嫌に応えた。
こういう言い方ができるのも、沢さんに甘えられる証拠だとわかる自分が、なにか気持ちを落ち着ける。
「この二人は結局離ればなれだけど、また出逢えることを信じてる。今は共に歩めなくても、生まれ変わったら、その時は一番最初に出逢えますようにという願いを…」
「……」
オレが聞き流すような態度で見てると思ったのか、沢さんはそこで言葉を止めた。
別にそういうつもりもなかったけど、とくに関心も無かった。
オレたちは、あの話のように殺し合いをするわけじゃない。
命を犠牲にして得るものなど、わずかなものだとも思う。
それに、オレはもう…
「おや、お客さんかな。下の方で声がするから降りるよ」
沢さんがそう言って部屋を出ると、閉めた扉で店の方からの声は全く聞こえなくなった。