悪い男〜嘘つきより愛を込めて〜
鼻先が触れる距離で、あの日のように熱

い眼差しで見つめられるとクラクラとめ

まいがする。


彼の行動が理解できないでいると、頬を

撫でる彼の指に神経が集中する。ゆっく

りと頬をつたい顎を捉えた。


言葉もなく見つめ合う時間…耐えきれな

くて先に声を出したのは私だった。


『……私に、何のご用でしょうか?』


『俺を忘れたか?』


忘れる訳がない。


あの日が、鮮明に浮かぶ。


『……どなたかと間違えておられません

か?』


素直に覚えていると言えば、あなたは私

をどうするの⁇


1度きりの行きずり関係に何の期待もし

ない。


1度があれば2度目、3度目と身体を繋

ぐだけのこと。そんな恋は辛いだけで、

若くない私に明るい未来があるとは思え

ない。


姿を消したということは、あなたと関わ

らないということ…だから気づかないふ

りをしてほしい。


『間違いか⁈…どうか確かめるさ』


『………』


恐ろしい言葉を吐いた男が顎を捉えたま

ま唇を塞ぎ、味わうようにキスを堪能し

だす。


唇を啄み、下唇を甘噛みされ逃げようと

しても捕らわれ、甘いタバコの香りをさ

せた甘い吐息が、あの日の夜を呼び起こ

し、我を忘れて男にすがりついていた。


それなのに男は唇を離し無表情で謝罪し

てきた。


『……すまなかった。勘違いだったよう

だ』


彼が気づかなかった事にホッとしつつ、

気づいてもらえなかった事にショックを

受け、なんとも言えない複雑な心境のま

ま笑みを浮かべ答えた。


『……わかっていただけて良かったです

。ですが、こんな方法で確かめるのは、

誤解を生むのでやめられた方がいいと思

います』


私の精一杯の強がりだった。



その男が、今、目の前にいる。


あの日、社長の秘書として同行しなけれ

ば2度と出会わずに済んだかもしれない

のに、なぜ、一カ月も経たないのに3度

目の出会いがやってくるのだ。


2人の前にコーヒーを出しながら聞こえ

てくる会話。


「そろそろ、戻ってきて会社を手伝う気

になったか?」


「ええ、そのつもりです」


「そうか、そうか…副社長の席は空けて

あるから、いつでもいいぞ」


彼の実力なら重役達は、誰も副社長の座

に反対しないだろう。


「来月までには向こうの仕事も片付くの

で、終わりしだいきますよ」

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