君をひたすら傷つけて
 コール音が何度か続き、優しい声が耳元で囁いたかと思った。

『雅か?仕事は終わったか?』

『うん。今、仕事が終わったの。もう遅いから明日の方がいいかな?』

『食事はしたのか?』

『ううん。まだだけど、撮影の合間に小さなサンドイッチを食べた』

『そうか。今から迎えに行くよ。どこに行けばいい?さっきのスタジオの前で五分くらい待てるか?危ないなら他の場所でもいい』

 お兄ちゃんの口ぶりからしてそう遠くはない場所にいるような気がする。でも、ホテルのチェックインをしたのなら、ホテルに居るはずだけど、ここの近くにホテルはない。

『待てるけど今、どこ?』

 お兄ちゃんが言ったのは撮影スタジオの近くにあるバーだった。私も仕事が終った後によく行く場所でここからも徒歩ですぐ。まさかこんな近くにいるとは思いもしなかった。

『そこなら私が行く。少し待ってて』

 私はお兄ちゃんの返事を聞かずにバーに向かって急ぐ。女の子の一人歩きは危ないというかもしれないけど、危ないと思わないほどの近くの場所にお兄ちゃんは居た。私の仕事が終わるまでずっとここで待つつもりだったのだろう。メールにしないでよかったと思った。

 バーのドアを開けて入ると、一番奥の席に座るお兄ちゃんの姿を見つける。この込み上げる気持ちをなんと表現すればいいのだろう?言葉に表すのが難しい私とお兄ちゃんの関係。この関係はどんなに時間が流れても変わらないかもしれない。

 一度、荷物をホテルの置いてきたのだろう。周りにスーツケースは無く、今は見慣れたスーツも着ていない。シャツにズボンというラフなスタイル。でも、そんなラフな姿にも拘わらず、纏う空気は…お兄ちゃんらしいきちんとしたものだった。
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