エリート室長の甘い素顔
 彼が廊下を曲がるまで見送ってから中に戻ると、弟はぼそっと「あの人、良い人だね」と漏らした。

 母もうなずき何か言いたげにこちらを見たが、悠里は何も言わず、控え室の固いソファに腰掛けた。


 たとえ何があっても、これ以上安藤を頼る気はなかった。

 今日の礼をするためにあと一度くらいは顔を合わせる必要があるだろう。
 だが、もう迷惑はかけられない。

(彼には何も返せないし、甘える資格もない……)


 それから、手術が終わるまでの長い間――

 ほとんど会話らしい会話もせず、三人はまとわりつく不安と戦いながらじっと父の無事を祈った。

   ***

 真夜中までかかった手術は一応成功した。だが状態は予断を許さず、悠里たち家族は結局明け方まで病院でつきっきりになった。

 術後、父はICUに移動し、医師からは重い宣告を受けた。


「出血は脳の広範囲に渡っています。小さいですが梗塞を起こしている箇所もいくつかある。このまま意識が戻らない可能性もあります。もし戻ったとしても、おそらく重い脳障害が残るでしょう。どの程度かは意識が戻ってからでないと何とも言えません」


 母はその場で泣き崩れ、悠里も弟も表情を歪めた。

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