らぶ・すいっち



 今だに何も言わない順平先生を見つめ続ける勇気は、私にはない。
 ソッと視線を逸らし俯くと、今度はカツカツと靴音が近づいてきた。
 この足音は間違いなく順平先生だ。
 一歩一歩ゆっくりと近づく足音。そのたびに私の胸はドクンと大きく高鳴っていく。
 
(どうしたの、私……)

 二人きりで個別レッスンをするのは、今回が初めてじゃない。
 それなのに初めてのときより緊張しているのは、順平先生がいつもの順平先生じゃないからなのか。
 先生は包丁の持ち方もうまくなかった私の手を握り、字のごとく手取り足取り教えてくれた。
 密着しすぎてドキドキしちゃうことも多々あった。
 だけど、そのとき以上に緊張している。この空気がそうさせているのか。それとも順平先生のいつもと違う様子に戸惑っているだけなのか。
 ドクン、と今までで一番大きく胸が高鳴ったのと同時に、俯いていた私の視界に黒い革靴が見えた。
 
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