【短】溺愛ショコラ




ミステリー作家の木下は、ワープロを使わず直筆で原稿を書き上げるため、執筆に時間がかかる。

特に木下は自分の作品をとても可愛がっており、気に入った編集者にしかその原稿を渡さないことで有名な作家だった。

そんな木下が新作のプロット渡した相手が、入社2年目の編集者になりたての宮野 茉子だった。

木戸も、きっとダメだと分かっていたからこそ、勉強のために宮野を木下の担当に割り振ったのだが……あの木下を懐柔するとは。

入社2年目で、天然の人垂らしと噂され始めている宮野に、木戸は心底驚いていた。


『そ、そうか…。ご苦労さん。』

『いえ。では…失礼しますっ』


重要な新作のプロットをきちんと木戸に渡せたことに安堵したのか、茉子は微笑みを浮かべてその場から小走りに去っていった。


『――おい。』


木下のプロットをパラパラと捲って軽読みしている木戸に、工藤が声をかけた。


『アイツ……名前何て言うんだ?』

『あー?…宮野 茉子だが、それが?』


木下のプロットに気を取られている木戸は、工藤の不敵な笑みに気付かない。

初めて見た、あんな女。

俺が目に入るところにいるのに、一切俺を見なかった、初めての女。

目の前のことしか見えていない、真っすぐそうな女。


『ふーん…。アイツなら、俺の担当にしてやってもいい。』

『そうか、なら――は?』


ポツリ、とつぶやいた工藤の発言の重要さに、間をおいて気付いた木戸は、もう遅かった。

肝心の工藤は到着したエレベーターに乗り込み、詳しく話をしようとしたころには、工藤を乗せたエレベーターは扉を閉ざしていたのだった。



< 50 / 56 >

この作品をシェア

pagetop