マネー・ドール -人生の午後-
「来てくれたんだ」
 松永さんは、そう言って、優しく微笑んだ。
「松永さん……俺、絶対、松永さんを無罪にしてみせます。どうにかして、俺……保釈金、用意します。保釈要求をしました。松永さん、やっぱり俺……こんなこと……嫌です。許せないんです」
 でも、松永さんは、何も言わず、俺の顔をじっと見た。
「大きくなったねえ、慶太くん」
「大きくって……もう、四十三ですよ、俺」
「はは、そうか。もう、おっさんだなあ」
 物心着いた頃には、もう当たり前のように、俺たち兄弟に、松永さんはいた。親父なんかより、ずっと長い時間、松永さんと過ごしてきた。
「真純ちゃん、元気かい?」
「はい。真純も、心配しています。今日も本当は、来たがってたんですけど、接見の制限があるから……ああ、ちょっと遅くなりましたけど、バレンタインデーにって、真純の手作りのチョコと、プレゼント、持ってきました。後で、受け取ってください」
 松永さんは、ありがとう、と言って、しばらく俯いて、顔を上げた。
「今だから言うけどね」
「……はい」
「僕は、君が可愛かった。やんちゃで、わがままで、素直じゃなくて。随分、君には手をやかされけど、僕は君が可愛かった。先生は、品行方正な悠太くんを可愛がっていたけど、僕にすれば、慶太くんのほうが、よほど可愛かったんだよ」
「色々……すみませんでした」
「君が、真純ちゃんと一緒に暮らし始めた頃、君は僕に言った。その子と結婚するつもりだと。まあね、いつもの言い逃れだってことくらいわかってたけど、それでも僕は嬉しかったんだよ。プレイボーイの君に、そんな嘘をついてまで、一緒にいたいと思う、女の子ができたってことがね」
「……あの頃は、俺もまだガキで……」
「今でもガキじゃないか」
 松永さんは、ははっ、と笑った。
 今でも、ガキか……なんか、情けねえな、やっぱ、俺。
「真純ちゃんもね、あんなに必死にお芝居して」
「芝居?」
「初めて会った時、真純ちゃん、必死だった。君と一緒にいたいんだなって、わかったよ」
 そんな……あの頃の真純は……
「君たちは、随分長い間、お互いを理解できなかったようだけどね。でも、お互い好きあってるってことは、よくわかったよ」
「わかってたんですか……俺たちのこと……」
「僕は君が生まれる前から、君を見てるんだよ。でもねえ、僕は驚いたんだ。そのうち、離婚したいだなんだと泣きついてくるかと思ったけど、君はずっとそれだけは言わなかった。ひたすら、真純ちゃんのこと、待ってあげてたね」
「俺……真純のこと、好きなんです」
「そうだろうねえ。そうじゃないとねえ。でも今は、どうやら、ラブラブみたいだね。何があったか知らないけど、君も真純ちゃんも、幸せそうだ」
 松永さん……あなたは……なんでもわかるんですね……俺と真純のこと、本当に、理解してくれてるんですね……
「あの、松永さん。俺たち、話し合ったんです。……もし、松永さんがご迷惑でなければ……俺たちと一緒に、暮らしませんか。俺たち、松永さんのこと、本当の父親だと思ってるんです。だから……」
「ありがとう。でも、僕はまだそんなに耄碌してないよ。まあ、そうだね。あと十年もして、僕がまだ生きていて、先生のお役には立てない、老害じじい、になっていたら、そうさせてもらおうかな」
「まだ、親父の下で、働く気ですか」
「それが僕の使命だから」
「裏切られたんですよ!」
「裏切られてなんか、ないんだよ」
「松永さん……」
「心残りといえば……君たちの子供の顔が見たかったなあ。君たちのことは、息子と娘みたいに思ってたから。孫の顔が見たかった、かな」
「心残りなんて、言わないでください! 俺が絶対に、絶対に無罪にしてみせます!」
「その気待ちだけで、充分だよ」
「どうしてなんですか……どうして、何もかも背負うんですか!」
 俺の言葉に、松永さんは、ふと微笑んで、微かに、首を横に振った。
「そろそろ、時間切れだ。じゃあね、慶太くん。真純ちゃんに、よろしくね。チョコレート、いただくよ。僕は意外に、甘いものが好きなんだ」
「松永さん!」
「真純ちゃんと、仲良くね」
「明日も来ます! 絶対に、絶対に諦めません!」
 立ち上がった松永さんは、俺の目をじっと見た。
「慶太くん」
「なんですか」

「恥じない生き方をしなさい。生まれ変わっても、また、この人生を生きたいと思う生き方を、しなさい」

 松永さんは、少し寂しそうに笑って、背中を向けて、ドアを出て行った。
 恥じない生き方? なんだよそれ……松永さん、あなたは、あなたのこの人生を、また生きたいと思うんですか? 松永さん……あなたは……こんな終わり方、しちゃいけないんだ!
 明日、俺は、松永さんにそう言ってやるつもりだった。最後までたたかおうって、こんな裏切り、許しちゃいけないって。俺も一緒にたたかうって。
 また、明日……俺、来ますよ。何回でも、俺の人生をかけて、俺の知識と経験と、全てをかけて、あなたを、無罪にしてみせますから!

< 207 / 224 >

この作品をシェア

pagetop