マネー・ドール -人生の午後-
 でも、それは、松永さんの最後の言葉で、俺は、俺たちはもう、二度と、松永さんに会うことも、松永さんを助けることも、松永さんに頼ることも……できなくなった。

「どうして……」
 喪服の真純は、遺影の前で、ずっと泣いていて、ずっと化粧もしていない。
 松永さんは、俺との面会の夜、首を吊った。留置所の暗い、寒い部屋で、たった一人で、ワイシャツをロープにして、死んでいた。
 足には、真純が、留置場は寒いからと選んだ、ふわふわの靴下を履いて、小さな書机には、空になったチョコレートの箱だけが置いてあって、他には、何もなかった。

 遺書も、何もない。手紙も、何も。松永さんは、何も言わず、俺たちを、置いていってしまった。

 生涯独身だった松永さんの葬儀は、ひっそりとしていて、親父も兄貴も、お袋も、誰も来なかった。事務所の人間も、誰一人、来なかった。あんなに長い間、松永さんに頼りっきりで、あんなに松永さんに尽くしてもらったのに、誰も、松永さんを見送りには来なかった。誰も、松永さんに礼を言いには、来なかった。
 俺は喪主をさせてもらい、最後の恩返しを、させてもらった。

「こんなことって、許されるのか……」
 俺は、悲しみなんかを遥かに超えて、親父や兄貴や、その取り巻きに対して、異常な怒りを覚えていた。生まれて初めてだった。俺がこんなに怒りを感じたのは、生まれて初めてだった。
 だから、実家に乗り込み、親父に言ってやった。覚悟しておけ、と。俺は全部知っている、と。だって俺が佐倉代議士の、会計をやってるんだから。

 松永さんの葬儀が終わり、引き取り手のない遺骨の前で、俺は決めた。
「告発する」
「告発?」
「親父と、兄貴を」
「……そんなことしたら、慶太も……」
「許せないんだ。松永さんを殺したのは、親父達だ」
 恥じない生き方。
 俺はずっと、いい加減で、ナンパで、四十三になってもまだガキで、親父と同じような人間達から、薄汚い金を巻き上げている。
 きっと、松永さんと同じような人がいたはずだ。何も言わず、使命だとかなんだとか言って、去っていった人が……俺が全部晴らしてみせる。松永さんの無念も、俺が消してしまった人達も、全部。
「松永さんに、恩返ししたい」
「……それが、恩返しになるの?」
「俺はずっと、自分が恥ずかしかった。こんな情けない、くだらない俺のままで、終わりたくない」
 真純は黙って、泣いている。きっと、次に言う、俺の言葉をわかっている。
「真純は、関係ないんだ」
「イヤ。私も慶太とたたかうわ」
「これは、俺の……ケジメだから」
「……別れるって、こと?」
「少し、時間が欲しい」
 
 松永さんの無念を晴らすために、全部失っても構わない。
 逮捕されても、世間から抹殺されても、俺は構わない。でも……真純を一人にすることだけは、できない。真純を離すことは、どうしてもできない。

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