マネー・ドール -人生の午後-
「真純、入るよ」
「母親だなんて、思ったことない」
「……最期かも、しれないよ」
「私には母親なんて、いないの」
「生んでくれた、お母さんだろ? そんなこと……」

 綺麗事ね。よく言われたわ。施設でも警察でも、いつでもどこでも、オトナ達はそう言った。

 お母さん。生んでくれたお母さん。大切なお母さん。たった一人のお母さん。

 だから何? だからどうだっていうの? 
あんな母親、いなければよかった。
生まれてこなければよかったって、そんな風に、そんなことしか考えられない子供の気持ちは、関係ないの?
母親がそんなに偉いわけ? 冗談じゃない。
冗談じゃないわ!

「知ってるでしょ? 私は、父親すら、誰だかわからないような、望まれて生まれてきた子じゃないのよ! 私がどんな思いをしてきたか……慶太にはわかんないわよ! あなたみたいに恵まれた子には、私の辛さなんてわからない! わかるわけない!」
 
 初めて、私は、慶太に、こんなことを、こんな風に言った。

 きっと、そう……
慶太に甘えられないのは……
ううん、誰にも甘えられないのは……

「どうせ、心の中では、私のこと、見下してるんでしょ? 貧乏出の、田舎者だって。どんなに、着飾っても、私は親もわからない、薄汚い女なのよ! バカにしてるんでしょ! 見下してるんでしょ!」

 コンプレックス。

 負けたくない。
慶太みたいな、お金持ちの、なんの苦労もない、そんな子たちは、いつも私を虐めて、バカにして、侮辱して……

「だから、杉本なのか?」
「将吾は、私のこと、バカにしたり、見下したりしなかった。私に優しくしてくれた、たった一人の人なの!」
「その杉本を捨てたのは……お前だろ」
……そうよ。そう。私が捨てたの。だって……だって……お金持ちに……なりたかった……
「でも、今は、俺がいる」

 慶太は俯いて、低い声で呟いた。
呟いて、私を抱きしめた。
こんなに、ワガママで、バカな私を、優しく、知らないけど、まるで、『お母さん』みたいに、優しく、包みこんでくれる。

「真純、お前の辛さはわからない。過去のことも、わからない。でも、お前のこと、バカになんかしてないよ。真純は、綺麗で、頭がよくて、優しくて、俺の自慢の奥さんだから」

 そんな風に言うから……

「見下さないで!」
「真純……」
「出てって!」

 慶太を部屋から押し出して、鍵をかけた。
もう、半年以上、かけていなかった鍵は、かちゃん、と、蒸し暑い部屋に音を立てた。

「真純! ちゃんと話そう。真純。話し合おう」
「ほっといて!」

 その夜は、一睡もできなかった。
翌朝、いつものように慶太に途中の駅まで送ってもらったけど、車の中で、私達は、一言も話さなくて、いってきます、のキスも、しなかった。
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