マネー・ドール -人生の午後-
 東京駅は、移動のサラリーマンでせわしない。私達は、目についたイタリアンのレストランに入った。
「何食べようか」
周りのテーブルは、やっぱり主婦っぽい人か、学生さん。お昼時は過ぎてるから、サラリーマンはほとんどいない。
レストランを出たら、また四時前で、慶太は、早い便のチケットに交換に行ったけど、座席が取れなくて、五時まで、喫茶店で過ごすことにした。
「何時につくの?」
「九時ぐらいかな」
広島まで、四時間なんだ……二十二年前は、ものすごく、遠かったような気がする。
「早いね」
「大阪まで、二時間半だからなぁ」
「……東京に来てから、初めて帰るの」
「そうなんだ」
「一生、帰る気はなかった」
 それは本心で、正直にいうと、まだ、広島に行く決心ができていない。
「無理させるつもりはなかったんだ。……帰ろうか?」
 帰るって、言いたい。もう、お家に帰りたい。帰って、ベッドの中で……あなたに抱きしめてほしい。
 でも……そんな逃げるみたいなこと、言えない。やっぱり、甘えられない。弱いって、思われたくない。

「慶太、私ね……慶太のこと、好きなの」
「俺も、好きだよ」
「……あの人にあったら、きっと、私のこと、嫌いになる」
「どうして?」
「似てるから。あの人と、私……」
 世界で一番、唯一、心底軽蔑している、あの人に、私は似ている。
「嫌いになんて、ならないよ」

 ふと時計を見ると、四時四十五分になっていた。
「もう、行こうか」
 コーヒー代を支払って、私達は下りのホームへ出た。出張帰りのビジネスマンで、自由席も指定席も、長い列ができていた。
「グリーンとったの?」
「グリーンしかとれなかった」
 しばらくして、新幹線がホームに入ってきて、私達は、座席に着いた。
発車のベルが鳴って、窓の景色が動き始める。
 四時間後には、私は、あの場所にいる。二十二年間、避け続けた、あの場所に。

 新幹線の中では、ほとんど話さなかった。
昨日の睡眠不足か、睡魔が襲ってきて、うとうとと眠ったり、起きたりの繰り返しで、目を覚ますたび、慶太は広げたパソコンから手を離して、私の手を握って、優しく微笑む。
 その目は、大丈夫だよって、言ってるんだよね。

 ねえ、慶太。
あなたは、どうして、そんなにオトナなの?
私のこと、怒らないの?
あなたのその目は、まるで、知らないけど、『お父さん』みたい。
私の嫌なところも、全部、全部、受け止めてくれてるんだよね。

 ねえ、私ね、今日、他の男の人とね、キスしたんだよ。
その人とね、もうどっか行っちゃおうかと思った。

 ねえ、私、あなたに抱かれながら、他の男の人のことを考えてるの。
あなたが、その人だったらって、そんなバカなこと、考えてるの。

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