マネー・ドール -人生の午後-
「あの、失礼ですが、佐倉慶太さんでは?」
 慶太に話しかけたのは、知らない男の人。
でも……初めて会った感じじゃない。
「ええ、そうですが……」
「やっぱり。いや、失礼しました。私、佐倉先生の事務所で昔、お世話になってたんですよ。三好と申します」
 ああ、事務所で見かけたのかな? 私も昔は時々選挙の手伝い行ってたし……
「そうですか。すみません、お顔を存じあげなくて……」
「いえ、いえ。随分昔の話ですから。私、今はこちらで県会に出てましてね」
 どうやら、こちらで議員をやってる三好という人は、もうすぐ県知事に立候補するらしい。
「こちらは、奥様で?」
「ええ、妻の真純です」
「はじめまして」
 私は、いつものように、笑顔で挨拶した。でも、なんだか、その人の感じ、好きになれない。
「これは、お綺麗な奥様で!」
「よく、言われます」
「ところで、佐倉さん。お噂は聞いてますよ」
「噂? いい噂ですか?」
「もちろん。とても頼りになる会計士さんだとか……」
「お力になれることがあれば、いつでもご相談ください」
 慶太は微笑んで、名刺を出した。こういう感じで、お客さんが増えるんだ。
「近々、ご相談させていただきます」
「お待ちしております」
 失礼、と言って、三好さんは、私に会釈して、病室へ続くエレベーターの方へ歩いて行った。

「ああいうのが、結構しぶとく生き残るんだよな」
「どういうこと?」
「東京から地方に行って、手堅く県会議員やって、知事適当にやって、国政ってパターン。親父の事務所にいたってのも、怪しいな」
慶太は鼻で笑ったけど、私にはよくわからない。
「あの人、なんか嫌な感じだった」
「政治家なんて、みんなあんなもんだよ」
 誰だろう……テレビとかで見たのかな? ううん、違う……もっと昔に、雰囲気は違うけど……

「病室、戻ろうか」
「もういいよ、帰ろう」
「挨拶だけしないと」
 私は渋々、慶太について、病室へ戻ったけど、そこには、なぜか三好さんがいた。
「おや、お知り合いだったんですか」
「義理の息子じゃ」
「へえ! じゃあ……あの、真純ちゃん?」

 ……思い出した! こいつは……この男は……

 私を襲った……あの男!

「……思い出したわ……」
「真純ちゃん……昔のことじゃないか」
三好はヘラヘラと笑ってる。許せない……私を襲って、将吾に前科をつけた……
「ほんまに、昔は、えらい迷惑かけたんじゃけ」
そういうこと……まだこの男は、この女の金蔓なんだ。信じられない……娘を襲った男と今だに……
「許せないわ」
「真純、穏便にすませてもうた恩を忘れたらいけんで」
「穏便? 何言ってるの?」
「あの、何かあったんですか?」
 慶太! 慶太がいたんだ! やめて……こんな話……!
「昔ね、この子の幼馴染がねえ……」
「杉本くんですか?」
「なんや、将吾のこと知っとるんか。そう、将吾がね、こん人のこと、えらい殴りよって……大怪我したんじゃよねえ」
「純子さん、もういいんだ」
 もういい? ふざけないで。あんたのせいで、将吾が、どんな思いをしたと思ってるの!
 私は、思わず、言ってしまった。
「誰のせいで将吾が鑑別所に入ったと思ってるの?」
「あんたのせいじゃろが」
「あんた達のせいでしょ!」
「人の男さそといて、こん娘は!」
「誘う? 誰が……誰が……」
「慶太さん、こん娘はねえ……」
「やめて!」
 でも、慶太は、冷静に、私の肩を抱いて、言った。
「知ってますよ」
え……知ってる?
「杉本くんから聞きました」
「なんと?」
「昔、真純に乱暴をした男を殴って、鑑別所に入ったと」
 なんで? なんで、そんなこと……知ってるの?……知ってたのに……私のこと……嫌いじゃないの?
「まさか、三好さんが?」
「ま、まさか、そんなわけないでしょう」
 顔を引きつらせる三好を、冷たい目で慶太が見る。
そんな目、初めて見た。
そんな冷たい目、初めて……
「そうですよねえ、議員さんに、そんな過去があったら、問題ですよね」
 慶太のセリフに、あの人がニヤニヤと笑っている。
なるほど……ゆすってるのね、この男を……
娘の傷を、ゆすりのネタにするなんて……
 もういいわ。もう……一瞬でも、あなたと歩み寄ろうとした私が、間違いだった。
 やっぱり、来なきゃよかった。このまま、知らない間に、死んでくれていれば、よかった。

「帰る」
もう、居ても立ってもいられない。一刻も早く、この最低な人達から離れたい。
 では、と立ち上がった慶太に、あのオンナが言った。
「慶太さん。入院代、お願いしますけえ」
「手続き、してますから。じゃあ、お母さん、お大事に」
「すんませんなぁ。真純、ええ旦那さんもろて、幸せじゃのぅ」
「もう、二度と顔を見ることはないわ。お金も送らないから」
 精一杯だった。こういうしか、その時の私にはできなかった。
 でも、目の前の母親は、憎たらしい目で、笑って、憎たらしい声で、言った。
「真純、あんたは、イヤでも私の娘じゃけえの」

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