マネー・ドール -人生の午後-
 涙を堪えて、病院を出た。
慶太の顔も見れない。
俯いたまま、私達は、病院の前で客待ちしていた、タクシーに乗って、駅へ向かう。
 私達は、無言で、広島駅について、チケット売り場へ行った。
時間はまだ、お昼前。私の帰郷は、親子の涙のご対面は、ほんの数分で、終了した。

 売り場の順番がくる直前、慶太が、私の耳元で、内緒話をするように、言った。
「寄り道、しようか」
「寄り道?」
「USJ、行かない?」
「……大阪?」
「行ったことないだろ? な、行こうよ」
 考えてみたら、慶太と二人で旅行なんて、初めてかもしれない。
泊りがけで出かけることはあっても、何かの用事で、純粋に旅行って、したことない。
「仕事は?」
「いいよ、一日くらい。真純も、休めよ、もう一日」
 別に、急務の仕事なんてないし……田山くんからの連絡もないってことは、問題もないってことよね。
「うん……」
「決まり! チケット、買ってくるね」

 チケット売り場から戻ってきた慶太は、嬉しそうに私に、それを見せた。
新大阪行きのチケット。
大阪には、出張で何度か行ったことあるけど、プライベートじゃ、初めて。
「後、十分だよ、発車まで」
 そう言って、慶太は、左手を差し出した。薬指には、カルティエのマリッジリング。
 恐る恐る、差し出されたその手を握ると、彼はギュッと握り返して、そのまま私達は、手をつないで、ホームへ急いだ。
 何度か、ヒールがひっかかって、転びそうになったけど、その度に、慶太が支えてくれた。
「急いで。走るよ」

 二十二年前も、将吾と手をつないで、人でごった返す駅を走った。
途中で、スニーカーの紐がほどけて、躓いて、将吾が支えてくれたっけ……
逃げるように、私達は過去から逃げたくて、必死で、新幹線に乗って、東京へ行った。
何もかも、捨てた。何もかも……捨てるために、本当は……一人で、東京に、行きたかった。

「ここだ」
ホームは混んでたけど、やっぱりグリーンは空いてる。
「ちょっと、トイレ行って来るね」
薬が効いていて、お腹はもうあんまり痛くなかったけど、少し量が多くて、目眩がする。貧血っぽい。
やっぱり、帰った方が良かったかな……

「大阪までは、すぐだよ」
「そうだね」
「ついたら、たこ焼き、食べようか。お好み焼きもいいなあ。ああ、腹減ってきた!」
 隣で、慶太は目をキラキラさせて、パソコンで検索してる。まるで、遠足の前の夜の子供みたい。
 ねえ、慶太……あの母親、見たでしょう? あんな最低な人……あれが、私の、私の母親なの……
なのに、どうして、何も変わらないの? 怒ってないの? 私のこと、嫌いになってないの?
「お腹、大丈夫?」
「うん。薬、飲んだし」
 聞けない。
 怖くて、聞けない。
 慶太の今の気持ち。
今、私のこと、どう思っているのか……変わらずに、いてくれてるのか……
 
 私は、慶太の隣で、今まで感じたことのない気持ちを、慶太に感じている。
 恐怖。
 怖い。あなたの気持ち。あなたの存在。あなたが、私を見る目。私達の、関係。
 これから、私達、どうなるの? 今までみたいに、恋人夫婦で、いられるの? ……いてくれるの?
< 64 / 224 >

この作品をシェア

pagetop