マネー・ドール -人生の午後-
 家に帰ると、森崎さんが掃除の最中で、私を見てびっくりしてる。
「あら、奥様。お早いんですね。ずっとお休みでしたし……お体の具合でも?」
「会社、辞めたの」
「えっ?」
「でも、来月から慶太の会社に行くの。だから、これからもよろしくね」
 森崎さんはほっとしたように頷いた。
もう、十五年の付き合いよね。週三回、ずっとこの家の家事をしてくれてる。
「ああ、台所、ごめんなさい。昨日、そのまま寝ちゃって……」
 そう、昨日も夕食作ったんだけど、ついつい、甘えちゃって……
「いえ、大丈夫ですよ。遠慮なく、残して置いてください。あまり、お手伝いすることがないんですよ、こちらでは」
確かに、そうよね。今までは台所も使わないし、ほとんど家にいなかったんだもん。
「ねえ、慶太の部屋は掃除しないの?」
「はい。ご主人のお部屋は、入らないようにと言われてますので」
そうなんだ。知らなかった。
「奥様、お茶でもお入れしましょうか」
「うん、お願い。アイスコーヒーがいいな。部屋にいるから」
「かしこまりました」
 奥様、か……なんだか、信じられないね。冷静に考えると。

 部屋着に着替えて、本の整理。
 インテリアの本は、もう捨てちゃおう。代わりに、経理の本でも買おうかな。大学のころ、必修科目で簿記をちょっとやったけど、全然覚えてないや。
 書棚や押し入れの本は、古紙回収用袋に五袋。まだあるけど、今日はこれくらいで。
「森崎さん、これ、捨てといてくれる?」
「はあ……廃品回収、呼びましょうか」
「任せるわ。お願い」
 ふう、スッキリした。なんだか、ほんとに終わった感じがする。

 ガランとした書棚の前で、私はアイスコーヒーを飲みながら、これからのことを考えてみた。
 考えたけど、何もわからない。
はっきりしてるのは、私と慶太はこれからも夫婦で、来月から、一緒に働くってことだけ。

 あ、そういえば、あの手紙……台所に置きっぱなし。
森崎さんが帰ったら、取りに行こうかな。昔の手紙だけど、誰にも見られたくない。
 でも、なんであんな荷物が慶太の部屋にあったんだろう。
それに、あの手紙……慶太は知ってたのかな。知ってて、見せなかったのかな……
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