黒太子エドワード~一途な想い
 ──普通なら、ここで戦いは終わるはずなのだが、どちらの妻の女傑と言われる程、勝気な女性だった為、彼女達が戦いを続けたのだった。
 二人とも名前が「ジャンヌ」であったことから「二人のジャンヌの戦い」(guerre des deux Jeanne)と呼ばれている。
 ただ、その一年後にはエドワード三世がノルマンディに侵攻し、クレシーの戦いへとつながっていくので、その間、ノルマンディ伯ウィリアムは、ブルターニュのことを副隊長のトーマス・ダグワースに託した。事実上、彼がブルターニュ公の代理となっていたのである。
 そのダグワース1350年もに戦死し、それを受けて、1352年にフランス軍がネスレ卿ギー将軍をブルターニュに派遣した。
 そして、8月に「モーロンの戦い」が起きる。

 先のクレシーの戦いでの敗退を踏まえ、ギー将軍は騎兵に馬から降りるよう命令した。
 だが、やはり、イングランドのロングボウにはかなわず、又してもイングランドに敗退している。
 その4年後の1356年に、ランカスター伯ヘンリーがブルターニュに入り、レンヌを包囲して、多額の補償金を受け取り、包囲を解いている。
 この時、レンヌで籠城して名を上げたのが、ブロワ派のブルターニュの騎士、ベルトラン・デュ・ゲクランであった。
 「鎧を着た豚」だの「ブロセリアンドの黒いブルドッグ」だの、酷いあだ名をつけられても、彼がフランスの劣勢を挽回したのは事実であった。
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