どうぞ、ここで恋に落ちて

「な、何か忘れ物ですか?」


私が適当に視線を泳がせたまま戻って来た理由を問うと、樋泉さんは走って来たときの勢いを保とうとするかのようにどこか慌てた様子で話し始めた。


「ああ、えっと……いつもはまたダメだったっておとなしく諦めるんだけど、その……高坂さんにだけは、どうしても誤解して欲しくなくて」


誤解……?

なんのことだろう。

私はまた樋泉さんの言わんとすることがわからなくて首を傾げる。

確かに今日は、基さんのお店での出来事といい、樋泉さんの態度といい、どことなく微妙なズレを感じるかも。


「どうして俺の好きな人が、千春子さんだと思ったのかはわからないけど……」


すずか先生の名前を出されて、私の耳は思わずピクリと反応する。

海が月の引力に逆らえないように、樋泉さんの声に誘われて私はゆっくりゆっくり顔を上げた。


夕日に照らされて立つ樋泉さんは、頬も目元も茜色に染まっている。

だけど私と目が合うと、まるで私の視線に魔力が備わっていてそれが合図になったかのように、耳までポッと赤く火照った。


そして彼は小さく息を吸う。


「俺が好きなのは、ずっと、高坂さんだけだから」
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