大人の恋はナチュラルがいい。


 シャワーからあがった私は髪も乾かさず、ベッドにうつぶせて顔を枕に沈めている。ちゃんと顔も身体も保湿ケアしないと後で大変な事になるのに、化粧水をはたく気力すら無い。頭どころか私の中は全て「嘘でしょ」「どうしよう」で埋まっていて指先ひとつ元気には動かないのだから。

 感じても仕方の無い焦燥から枕に押し付けた顔をグリグリと動かせば、自分のシャンプーの香りに混じってふと太一くんのトワレが香った気がした。彼が泊まりに来たのはもう数日も前なので残り香を感じたのは気のせいだと思う。けれど、どうにもそれが愛おしい気がして、息も出来ないくらい枕に強く顔を埋ずめた。

 ――『陽与子さん』って、ふたりきりの夜を過ごすときだけ変わるイントネーション。唇を甘噛みする悪戯でセクシーなキス。私が達したあと『いい子だね』と言わんばかりに髪を撫で梳いてくれる優しい手。ひとつになっていく時の切ない表情。甘えてるようで雄々しくて、夢中に見えて余裕があって。ああ、私、太一くんに抱かれるの凄く好きなのに。あんなに幸せだって満たされてたのに。

 彼との夜を後悔する自分が心底悲しい。嫌悪さえする。けれど、気をつけてるつもりでも迂闊だったのはふたりの責任だ。雰囲気に流され情熱に身を任せすぎた結果、どうしようもない現実に陥っている。

 ようやく軌道に乗ってきたお店のこと、まだ具体的な将来を話し合った事の無い彼のこと、これから考えていかなければならない問題を思うと現実逃避のシグナルとばかりに頭がズキズキと痛み出す。けれど、グズグズしてる暇は無い。滲んできた涙を枕に吸い取らせながら、私は自分の身体にセットされたタイムリミットに向かって思考をもたげた。


***

 迷いや不安を逡巡した夜を越えれば、まず立ち向かうべき問題は“産むか産まないか”というシンプルかつ重大な選択であると判明した。それは端的に言ってしまえば自分の理想どおりの人生と子供の命を天秤に掛けているようで、ドッと心が重くなる。

 吐き気さえ催すシリアスな悩みを抱えたまま、私はそれを決めるにはどうすればいいのかを考えながら朝の支度をした。乾かさずに寝た髪も保湿をさぼった肌も、案の定酷かった。
 
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