暗闇と炎
2、

2.
気付いたとき隼人は
見慣れたリビングルームにたっていた。

色あせたカーテン、

洗われていない食器、

父親の灰皿。

大きく息をすると懐かしいかおりがした。

安らぎと安定の香り。

安らぎと安定の…
そのときはっと目に手をあてた。

涙が流れていることに気付いた。

そして背中や腕が
ズキズキと痛みはじめた。
みるとそこには痣や火傷があった。

安らぎと安定…? 
ここにあったものはそうだろうか。

灰皿には曲がったタバコと
灰がたまっていた。

そのタバコを見つめていると
煙が広がった。

辺りが暗くなり、

むせ返るにおいが充満した。

次第に、鼓動が早まった。
だんだん苦しくなってきて
隼人は思わず座り込んだ。
この感情はなんだろう、

隼人は必死に自分を落ち着かせようとした。

遠くから甲高い音が聞こえてくる、

その音は次第に大きくなった。

音の正体は車のブレーキ音だ。
体の震えが止まらなかった。

目の前に女性が横たわっていて、
周りの人々のざわめきが聞こえる。
血が流れ出し女性は動かなかった。
少年は泣き叫んだ。
女性の体を揺すって体中が
女性の血でそまった。
女性は少年に消えかかる声で、
最期まで愛情を示した。

「つよく…いきるの……
見守っているわ…ずっと。」

そのときの
彼女の目は涙で美しく輝いていた。

それは少年の目に深く深く焼き付いた。

大きな男達が
少年を女性から引き離そうとした。

少年はその場から離れることを拒んだ。

だがそれは叶わない。

少年は涙とともにさけんだ。

「お母さん!!!!」


「おい。」
低い声に起こされた。
少年は笑い、返事をした。

むせ返る煙のにおいがする。

お父さんはなんでこんなものが
好きなのだろうか。

理解はできないが、
愛する父親が愛するこの煙を少年は愛した。

部屋のカーテンはいつも閉まっていた。

父親はこの習慣だけは欠かさなかった。

少年の痛みも、

苦しみも、

叫びも、

カーテンの外の世界に
でていくことはなかった。

だが少年は笑い続けた。

だがそのたびに父親はこわれていき、
少年もこわれていったが、
そんなことは分からなかった。
わずかな幸せを探すのに必死だったのだ。

ある日、
父親は少年に新しいパジャマを買った。

少年は跳んで喜び、大好き!と言った。

なにかあるたびに、
少年は満面の笑みで、大好き!と言った。

その言葉に、
父親が返事をすることはなかった。

「お父さん今日はどこ行くの?お出かけなんて何年ぶり??」

少年の純粋な喜びは沈黙に掻き消された。

「おりろ。」

上着を渡され、何着か着替えを渡された。

「今日からここが家だ。
まだ開いてないからここにいて
おとながきたらここに入れてくれと頼むんだ。
死にたくなかったら、土下座でもしろ。」

あぁ苦しい。

「うれしい。
お泊りなんて久しぶりだもん。」

少年は笑った。

さみしいよ。お父さん。

「でもあんまりながくはやだよ。
むかえにきてね

パジャマ新しいの買ってくれたでしょ?
これで頑張るね!」

愛をくれないのはどうしてですか。

「……あのさぁお父さん。
隼人のこときらいかなぁ?」

「じゃあな。」

少年が父親のまえで涙を流したのはこの時が初めてだった。

その悲しさも苦しさも父親には届かなかった。

ねぇお父さん、きらいなの?

きらいになっちゃったの?

それともきらいだったの?

「…ねぇお父さん…お父さん…
お父さん!お父さん!お父さん!!!!」

何回呼んだら、
戻って来てくれるだろうか。

あと何回笑ったら、
もっと愛してくれるだろうか。

神様、
なにがいけなかったのでしょうか。

答を教えてください。

こんなにも愛しているのに、
なぜ比例しないのでしょう。

こんなにも大好きなのに…。
思い出せば、お父さんが自分に向かって
大好きと言ってくれたことなんて
一度もなかった。

愛されてなんていなかった。

これが少年が出した答だった。

答を出したときのその感情は
恐怖そのもの。狂気すら感じた。

そうだ。
母親はおれが殺した。

あの日が最期なんて思わなくて、
たわいもない会話をしてた。

友達のことをずっと話す小さなおれの手をにぎりしめてくれてて、

小さなおれは周りが見えてなかったんだ。

危険なものも怖いものも幸せににじんで
見えなかった。
白い蝶がとんでた、
あのとき、手を離してまで
おいかけたんだ。

向こうの方から大きな音が
聞こえてきてる気がしたけど

そんなの気にならなかった。

お母さんの声が聞こえて、

振り返って、

肩が強く押されて、だけど

お母さんが逃げる時間は無かった。

肩を押されて、
コンクリートに転がったおれの痛みと
お母さんの痛みに
どれくらいの差があったのだろう。

7歳のとき、おれの心は半分死んだ。
それから、
父親だけが生きがいだったが
9歳のとき、それも断たれた。
幼い日の忘れてた記憶。

愛されていなかった。
だから生きている意味がないと思った。
だから、自殺したんだっけ?

結局、最初から独りだった。

あのときの恐怖はおれの心の中に、
決まりを作った。

愛するから愛されたいんだ、
愛さなければ、このままでいれば、
もう恐怖を味わうことはない。

おれはこのとき、
自分の心をも殺したんだ。

「ここは、
安らぎと安定の場所なんかじゃない。
父親の家、
おれにとっての闇だ。」

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