君のとなりに
「今日は寝てくるなよ。」
「それは相手によるし。」
「相手によるじゃなくて、相手によって拒否しないあんたが本当に悪いんだからね。」

 一人暮らしの身になってから、本当に椿は母親みたいだなと思う。そんなことを椿に言うと『あんたの母親になった覚えはない』と一喝されてしまうけれど。

「そういう椿ちゃんは彼氏できないの?」
「あんたのそういう話聞いてると、恋愛に夢も希望もなくなるわ。」
「ごめんー。」

 意外と夢見がちな椿は、自分と違って本当に好きな人と一緒になって、本当に好きな人に愛されるんだろうなと思う。椿と誰かがそうなる未来は思い描けるし、とても嬉しく思えるのに、自分と誰かがそうなる未来を全く思い描けないのが残念でならない。

「今日は友達と飲む約束。それであんたは本当に合コンなわけ?」

 こくんと頷く。最近友達に誘われるのは大概これだ。どれだけ出会いに飢えてるんだか。

「はーぁ、まぁ止めないし止める権利もないけど、ひとまず身体は大事にしなさい。」
「はぁい。」

 カツカツと珍しくヒール音を響かせて、椿は階段を上がっていった。普段はヒールのない靴しか履かない人だが、今日は何か行事でもあったのだろうか。

(…身体を大事に、って言われても。)

 大事にする気なんてさらさらない。別に依存症というわけではもちろんないけれど。誰かに抱かれるという行為に快感を覚えたことなど一度もない。それでも、それで相手はいいと思ってくれているのだから、その瞬間だけは自分が意味あるものに思えてくる。

 あと1時間で駅前の少しお洒落な居酒屋に集合だ。今日の相手は全員就職していると聞く。お財布の中身は少なくて済みそうだ。
 化粧は念入りに直し、顔を作る。目が大きく見えるようにアイラインを慎重に引いて、ボブの髪は内側に巻いた。マスカラは濃くしすぎると落とすのが面倒だから、標準的に。リップは明るい色をチョイスした。

「よし。」

 気合が入っていても怒られるが、入っていないとそれはそれで怒られる。女の社会は難しい。
< 3 / 30 >

この作品をシェア

pagetop