君のとなりに
「それで、何が食べたい?」
「…何でもいいの?」
「何でもあるとは言わないけど。一応言ってみてよ。」
「じゃあ…ホットケーキ。」
「ホットケーキミックスあったはず。」
「あるんだ。」

 『意外』なんて言ったら、どんな顔をするのかなと思えるくらいには興味が湧いた。

「卵も牛乳もあるし、10分くらいか。」

 ボウルと泡だて器が出てきた。黒の冷蔵庫の中まではしっかり見えなかったが、牛乳も卵もきちんとあるなんて自分の冷蔵庫とはあまりにも違う。
 カシャカシャと泡だて器がボウルに当たる音がする。こんな生活音は久しぶりだ。静かすぎる空間に、ホットケーキの香ばしく、ほのかに甘い香りが漂ってくる。食欲が刺激される。

「うわぁ…。」

 目の前に出されたホットケーキ。きつね色をしていて、湯気がたっている。バターが溶けてしみこんでいく。メイプルソースの匂いが鼻に届いたとき、お腹が鳴った。

「丁度良かったか。」

 小さく落ちた笑顔に、胸の奥がしめつけられそうになる。

(…変…なの…。)

 桜は気付かれないように小さく息を吐いて、ホットケーキを口に運んだ。ふわふわで美味しい。自分ではきっと、こんな風には作れない。

「美味しい。」
「どんだけロクなもん食ってないんだよ。」
「…朝、食欲ないし。」
「ロクでもない生活してるからだろ。」

 否定できない。桜の生活スタイルを全て話したら、きっと怒られるのだろうくらいには想像がつく。そもそも、怒られるほど親しくはなかったはずなのだけれども。

「…それ食い終わったら送る。」
「え?」
「家まででいいなら家まで送るし、それが嫌なら駅までとかでいい。お前の都合の良いところまで。」
「…車、あるの?」
「まぁ。」
「家まで、でもいいの?」
「いいけど、その辺の防犯意識はどうなってんの。」
「…だってあたしの家、女性専用だし。」
「…だとしても、俺がストーカー気質だったら危ない。」
「降谷さんはそうじゃないでしょ?」
「まぁ、お前みたいなやつにストーカーする趣味はない。」
「あー酷い。これでもあたしはモテるんだから!」
「趣味が悪い男がこの世には多いんだな。」

 何を言っても言いくるめられる。いつもより温かい食事に、思わず笑みが零れた。
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