君のとなりに
「それより、時間は大丈夫なわけ?」
「…大丈夫。」
「バイトはレンタルショップだっけ?」

 桜は頷いた。意外と話をきちんと聞いていたらしい。そういえば自分はこの人が降谷という名前であることしか知らない。

「降谷、さん。」
「なに?」

 声の調子を高くして、桜は口を開いた。

「迷惑かけて…ごめんなさい。…泊めてくれて、ありがとう。」

 最後は笑顔で。こうすれば何事も乗り切れることを知っている。

「へらへら笑うな。そういうの嫌い。胡散臭くて仕方がない。」
「え…?」

 そんなこと、生まれて初めて言われた。いつもこの嘘にみんな騙されてくれるのに。『いいよいいよ、桜ちゃん』って言って、笑って許してくれるのに。なのに目の前のこの人は、顔色一つ変えずに、真っ直ぐにそんなことを言う。

「へらへらなんてしてませんよー。」
「そう言えば他のやつは騙せたんだろ?その笑顔は嘘。」

 ズキッと音がしたのではないかというくらいに刺さった言葉。刺さったのは、それが嘘ではないからなのだろう。

「へらへらしてなくても別に追い出しはしないし。」

 追い出されるなんて思っていない。それでもへらへら笑ってしまうのは、もはや感情とシンクロしてなどいないからでしかない。それが嫌いだと言われても、すぐに治せない。

「朝飯、食ってくか。どうせ不健康なものしか食ってねぇだろ、お前。」
「…ひどいなぁ、降谷さん。」

 はぁと小さくため息をついてから、降谷はそっと桜の頭に手を乗せた。

「それで、何食べるんだよ。」
「…何でも作れる人?降谷さん。」
「何でもじゃないけど。あー…えっと、持田さんよりはできると思う。一人暮らし歴長いし。」

 持田さんという響きが何だか妙で、降谷の前で初めてくすっと笑みが零れた。

「そういう顔、できるんだ。」

 そこを見逃さない降谷に、胸がざわついた。
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