はじめての男
3
 私は亮介が好きだった。
 勿論、イトコ同士だとか、兄のようなとかいう意味ではなくて、男として焦がれていたのだ。
 いつから、そんな気持ちを持ったか定かではないが、小さいころから彼に纏わりつく女に嫉妬していたから、相当昔からだと思う。
 でも、亮介はいつも良き兄であろうとした。
 それは我が家に世話になっているという負い目もあっただろうし、祖父や父や、大好きな叔母である母を落胆させたくなかったのだろう。
 
 物心つくと傍にいて、幼稚園も学校も一緒に通った。いつも彼と遊んでいたから男の子みたいに日に焼けて泥だらけだった。
 そんな私を亮介は気に入ってくれていて、どこに冒険しに行こうが誰と一緒だろうが、「アユ、行くぞ」と誘ってくれた。だからますます勝気な男勝りになったのだが……。
 今でも、ゴキブリ以外、大抵の虫は平気でつかめる。
 
 ところが亮介が一足先に中学生になると、私と彼の関係は一変した。
 まずはバスケ部に入った彼は、晩御飯を食べに来る以外我が家に来なくなった。部活はとっぷり日が暮れるまでやってたし、がつがつご飯を食べた後はさっさと自分の家に帰って行く。
 私がゲームに誘っても、勉強があるからと断られる。
 彼はもう子供ではなくなって、かまってくれる人など必要なくなったのだ。特におせっかいで生意気な小学生の女の子など……。
 
 翌年、私も同じ中学に入った。
 これで対等になったと喜んだが、亮介の方は違ったらしく一緒に登校することもなかった。
 学校で会っても、私に気付いていても知らんぷりを決め込んだ。
 
 中学生の亮介はまるで夏のヒマワリみたいにぐんぐん背が伸びて、背中がとっても大きくなった。
 私の同級生の間でもバスケ部の大友亮介は注目の的で、妙なファンクラブまで出来ていた。
 いつの間にか途方もなく遠い存在になった気がした。ほとんど毎日一緒に過ごしていた頃は、幼い子供の戯れでしかなかったのだ。
 
 私はそれでも、亮介に纏わりついた。
 塾の帰りに彼の家に立ち寄ったし、誕生日とかクリスマスとか行事の時は勿論、休日にも足繁く大友のうちへ出入りした。
 そんな私に彼は迷惑そうな顔を向ける。子供だったんだと今では恥ずかしくなるが、ぶっきらぼうになった彼に逆らってやるのも一種の快感ではあった。
 
 でもそんな私の執着心が木端微塵になったのは中学二年の秋だった。
 部活も無くなり受験勉強に勤しんでいた亮介が、ある日女の子と歩いている姿を見てしまったのだ。
 長い髪を背に垂らしたとても綺麗な人だった。二人は楽しそうに話をして、顔を見合わせては笑っていた。彼女を見る照れくさそうなあんな顔は、私には向けられたことがない。
 通りのブロック塀に隠れて、行き過ぎる二人を見つめていた。その時やっと、私は亮介にとって特別ではないのだと気づいた。
 ただの目障りなイトコ……それ以外の存在ではないのだと。
 
 翌年、亮介は都内の有名校に受かって、ブレザー姿が凛々しい高校生になった。難関校だったから、勿論家族は大喜びで、亮介の家で盛大にお祝い会が開かれた。
 私にとってはますます遠い存在となってしまったのだけど。
 
 彼の合格は、私が貰ってきたお守りのご利益だと思いたい。
 そのお守りというのは祖父から教えられたものだった。
 祖父が戦争中に疎開していた群馬の片田舎の神社のお守りで、祖父の話だと、ここのお守りを持った出征兵士は皆復員できたそうだ。万能薬のごとく合格祈願にもご利益があると言う、祖父の断固とした言葉を信じて、私は電車を乗り継ぎバスに乗って、山奥の神社まで一日かけて行って来たのだ。

 どきどきしながら「これ……」と言って渡した時、「サンキュ」と無造作に彼のポケットに押し込まれたお守りは、京子伯母さんがズボンと一緒に洗濯機に放り込んだかもしれない。
 まあ、ご利益はあったのだと信じて、自分のことのように合格は喜んであげたが。

 私はと言えば、彼と同じ高校に行きたくて猛勉強をしていたが、数学が苦手で模試の結果は惨憺たるものだった。
 第一志望を落として、女子大の付属に決めようと思っていた時、亮介が突然家にやってきた。
「夏休みの間、俺がカテキョーしてやる」
「はあ? 亮ちゃんが?」
「去年の傾向と対策が、まんま役に立つだろう。数学は得意だから、まかせろ」
「で、でも、塾だって行ってるし……。ああ! もしかしてお母さんが頼んだの?」
「それもあるけど……、とにかく同じ高校だと便利がいいだろ?」
 
 何に便利がいいのかよくわからないが、とにもかくにも彼の部活のない日曜日と、私の塾のない夜に、亮介が我が家に来て教えてくれることになった。
 受験という理由があったにせよ、突然二人の時間が出来たのだ。私は嬉しかったし、諦めていた想いに火が灯ったようだった。
 
 亮介のお蔭もあって、ぎりぎりのラインまで偏差値も上がった。
 わからないところがあると、走って行って亮介に教えを乞える。今までみたいに遠慮することもないのだ。受験日が近づき、亮介も時間があると私の様子を見に来てくれた。小学生の頃の睦まじき関係が蘇ったようだった。
 

 あのお守り事件がなかったら、私はもしかして難関都立に受かっていたかもしれない。
 三月、私は傷心したまま受けた高校に見事にすべった。
「お守り事件」とは大げさだが、受験期の微妙なメンタルには、大事件だったのだ。
 
 受験を一月後に控えたお昼休みの教室で、問題集を広げていた私の元へ、男子バスケ部のマネージャーだったタカコが走り寄ってきた。
「見て、アユ! 受験のお守り貰っちゃった!」
 鼻先にぶらぶらと、「合格祈願」と金糸の刺繍の入った赤いお守り袋を揺らした。
「山の手神社のお守り?」
「そう! 誰からもらったと思う?」
「誰よ」
「うふふ、都立に入った大友先輩よ。昨日、バスケ部で励まし会してくれて、後輩全員にくれたんよ! 先輩に大丈夫って励まされると、絶対受かる気がするのよねえ。受験済んでも、一生大事にするんだから」
 お守りを両手で大事そうに包むと、頬に当ててうっとりしている。亮介のファンは多いのだ。
 タカコの喜ぶ顔を見ながら、私にもきっと貰って来てくれているとほくそ笑んだ。もしかして絵馬にも祈願してくれたかもしれない。私がわが身のごとく案じたように、今の亮介は誰よりも私のことを考えてくれていると思った。
 
 次の日曜日、亮介はうちへ夜遅くやってきた。
何だか朝から遠くへ出かけていたらしくて、疲れた顔をしていた。母に夕飯を勧められ、父と祖父とわいわい言って食べた後、彼はコンビニにつき合えと言って私を連れ出した。
 二人で寒さに肩をすぼめながら、真っ暗な通りを公園の方へ遠回りして歩いた。
 そして、亮介はぼんやり灯る街灯の下で立ち止まると、
「アユ、これ」
 と、ダウンジャケットのポケットから、赤いお守りを取り出した。
「ありがとう! バスケ部のタカコが貰ったって大騒ぎしてたから、私にはないのかって心配してた」
「まさか、俺だって貰ったのに。このお守りはご利益あったから、こっちの方がいいだろうと思って……」
 街灯の明かりにお守りの袋を見た。「合格祈願」と金糸で刺繍されて、その横に「神森神社」と小さく名が入っていた。
「神森神社の……。山の手神社じゃないの?」
 それは私が亮介のために、一日掛けてもらいに行った神社のお守りだった。
 遠く離れたここは、私が祖父に教えてもらった神社だ。場所は誰も知らない。つまりこれは、亮介に私が渡したものだ。それを返してきたのだ。
「俺が合格できたから、縁起がいいぞ」
 亮介は照れくさそうに、私の手に押し付けた。縁起がいい……。
「そうだね……。ありがとう」
 
 すごく悲しかった。いくら縁起がいいからって、自分の渡したものを返されるのはショックだった。
 後輩たちの分はわざわざ出向いて貰ってきているのに……。
 私はやっぱり彼の身近な親戚で、血の繋がらない気軽なイトコでしかないと思い知った。
「頑張れよ」
 にっこり笑った亮介をぶん殴ってやりたくなった。
「ありがとう」
 泣きそうになったけど、指先の感覚が無くなった手でお守りを握りしめて、笑い返した。

 もういいじゃないか……亮介とは死ぬまでただのイトコ同士なのだから。
 そう自分に言い聞かせて、ポケットに突っ込んだお守りを握りつぶした。
 
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