Fly*Flying*MoonLight

PM10:00 玄関ホール~食堂~廊下

 ……ゆっくりと重い木の扉を開けた。鍵はかかっていない。
(不用心だな……)
 玄関ホールの壁に飾られたランプは、ほんのりと温かな光を宿していた。内側から鍵をかける。

 今日、帰りが遅くなる事を連絡しようと思ったら……携帯の番号を知らなかった。会社に登録された電話番号にかけてみたが、つながらなかった。
(あいつ、普段、魔法ででも連絡してるのか?)
 そんな事を思いながら、階段に向かうと……食堂の扉が開いたまま、明かりが洩れていることに気がついた。
 食堂を覗くと……楓、がいた。

***

 テーブルに突っ伏して、寝てしまっている。俺は音をたてないように、テーブルに近づいた。

 ――だぼっとした、ベージュぽい色のスウェットスーツ。髪がまだ少し、濡れている。すやすやと寝息が聞こえた。横向きの寝顔が……あどけなかった。
(どう見ても……寝てるな……)

 はあ、とため息が出た。こいつ、ここまで不用心で、よくぞ今まで無事に生きて来られたな。
 どうも、『魔力に守られてる』っていうので安心してしまうようだな……。
 いいのだろうか、それで。俺は少し頭を振った。

 ふとテーブルの上を見ると、ふきんがかけられた食器があった。外すと……
 ……あの、スープだ。
 他のおかずもあったが、なぜかスープだけがまだ温かいようだった。うっすらと湯気が出ている。

『このスープを飲むと、元気になるんです』
 ……楓の言葉が心に浮かんだ。

 ……元気に、なって。
 そう言われた……気がした。

 鞄を置き、手を洗う。椅子に座り、「……いただきます」、と手を合わせた。置いてあったスプーンで、スープを一口食べる。まだほんのり温かい。

 ――心の底から、温かくなるような、味。

 ……まずい。美味過ぎて……まずい。
 もう、かなり参ってるのに、これ以上……。

「ん……?」
 ――楓、が動いた。

***

「ん……?」
 ……人、の気配。ゆっくりと目が覚めた。

 あれ? 私寝ちゃってた……?
 頭を起こし、眠い目をこすると……

 ……目の前の席に、和也さんが座ってた。じっと私を見てる。
「……おかえりなさい」
 そう言うと、和也さんは……少し間が空いてから
「……ただいま」
 と、ぽつりと言った。

 あ、スープ飲んでくれてる。私は思わず微笑んだ。
「よかった。スープ飲んでくれてたんですね」
「……」
「今日……元気、なかったから……。これだけは、飲んでもらおうって……」
「……楓」
 ちょっと緊張したような声がした。
「はい?」
「今日は……ありがとう。俺をかばってくれてただろ」
 私は目を見開いた。
「え……と、特に何もしてません……が」
 くすり、と和也さんが小さく笑った。
「自覚が……ないのか……」
「あの……?」
 和也さんが、少しかがんで、床に置いた鞄を開けた。
「これを……受け取ってほしい。このスープのお礼、だ」
 和也さんは小さな白い箱をテーブルに置き、こちらに押しやった。
「え……でも……」
 どうしよう、と思って和也さんを見ると……なんだか緊張してるみたいな表情……?
 私は箱をゆっくりと手に取った。手のひらに乗る大きさ。薔薇色のリボンをほどき、箱の蓋を開けた。

 ……え……

「こっ、これ……!」
 和也さんが照れたように、横を向いた。
「その……お前はきっと、宝石とかブランド物のバッグとか、興味ないだろうし……」
「俺のイメージだと、魔女と言えば水晶玉だから、そういう石がいいのかと思って……」
 和也さんが真っ直ぐに私を見た。
「お前からは、いつも薔薇の香りがする。だから、これにしたんだ」

 ……箱からそっと出して、手のひらに載せてみる。
 透明な水晶の、薔薇が――明かりの光を反射して、きらきらと輝いていた。

 じっと水晶の薔薇を見ていたら、和也さんが不安そうに言った。
「気に……入らない、か?」
 顔を上げる。私は、ぎゅっと両手で水晶の薔薇を握りしめた。
「すごく……綺麗、です」
 私の事、本当に考えて選んでくれたんだ。それがすごく、うれしかった。
「こんな……心のこもった贈り物もらうの、久しぶりで……」

 初めてだったかも、知れない。
 和也さんの前で……心の底から微笑んだのは。

「ありがとう……ございます。大切に……します」

 和也さんは……呆然、とした顔をしていた。

 ……あれ? 和也さん、完全に動き止まってる……?

「あの……?」
 夢から覚めたように、和也さんが表情が変わった。
「気に入ってくれたなら……よかった」
 そう言って、またスープを食べ始めた。

 和也さんが最後の一口、を食べ終わり、「ごちそうさまでした」、と手を合わせた。

「すまない、今日は井之元社長と会食だったから……他は明日食べる」
 本当にすまなさそうな声。
「気にしないで下さいね。そうかも知れないって思ってましたから」
 スープの入ってた、カップだけを洗う。手を拭いて、テーブルの上に置いた箱を手に持った。
 和也さんは、鞄を持って立ちあがっていた。
 そして、ぽつり、と言った。

「お前……誰か好きな男がいるのか?」
「はい?」
 思わず目を見張った。結構、真剣に聞かれた……気がした。

「いると言えばいますし……」
「……」
「……いないと言えば、いないです」
「……なんだ、それは」
「その……これを言うと、いつも馬鹿にされるんですが……」
「俺はしない」
「……ですね」
 そう。魔女だって言う事も信じてくれたし。
「すごく好きで……憧れてる人、はいました。でも……」
「……」
「もう、亡くなってしまいました」
 和也さんを見ると……ショックを受けた目、をしていた。
「でも、ずっと心の中にいてくれるので……大丈夫です」
「……」
「なんで……亡くなったんだ?」
 かすれた声で和也さんが聞いた。
「えっと……老衰、になるんでしょうか」
「は!?」
 あれ? 急に声が変わった。
「ろ、老衰……って……」
「もう、八十歳超えてましたし……」
 和也さん……なんか、頭抱えてるけど……。
「……念のため、聞くが」
「はい」
「お前の……好きな人っていうのは……」
「……祖父です。祖母と一緒に私の事、大事に育ててくれた」
「……」
「本当に、素敵な人だったんです。物静かで、いつも優しく微笑んでいて、博学で……でも、芯が通っていて、いつだって私の事、守ってくれました」
「……」
「大きくなったら、おじいちゃんと結婚するんだって、小学生ぐらいまで結構本気で考えてて……」
「……」
「今でも祖父以上の男性って、会った事が無いので……だから、好きな人はいるけど、いないです」
 和也さんは……黙ったまま、だった。
「あの……やっぱり、おかしいでしょうか。おじいちゃんが理想の男性だって言うと、いつも馬鹿にされるので……」
「いや……おかしくは……ないが」
「……」
「ある意味、ショックが大きい……な」
 ショックって……?
 和也さんをじーっと見ていたら、ちょっと照れたように、彼が笑った。
「……まあ、いい。食事待っていてくれて、ありがとう」
「……いいえ、こちらこそ、プレゼントありがとうございました」

 食堂の明かりを消して、和也さんとホールに出る。ホールの明かりも一段階、落とした。
 階段を上りかけた和也さんが、後を上る私を振り返った。
「……そう言えば、お前どこで寝てるんだ?」
「……元おばあちゃんの部屋、ですが」
「……」
 階段を上り切る。和也さんと一緒に左に曲がる。

 あれ? また和也さん、頭かかえてる……?

「……その、まさかとは思うが」
「はい」
「その……部屋……は」
 私は、自分の部屋の扉を開けた。

「シャワールームをはさんで、おじいちゃんの部屋の隣、ですよ?」
 ……また、和也さんが黙り込んだ。
「この部屋が一番安全、なんです」
「……」
「私以外の人が勝手に入る事、できませんし……」
「……」
「なにかあったら、警報が鳴って、守護精霊が集まるようになってます」
「守護精霊……って……」
「私の場合は、風の精霊であるシルフィード、です。私の主な力――エレメントは、風、なので」
「……」
「だから、例えば泥棒が入ると、風に吹き飛ばされる、ことになります」
 はあ、と和也さんがため息をついた。
「……わかった。おやすみ……」
「はい、おやすみなさい」
 私は部屋に入って、扉を閉めた。
< 18 / 65 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop