シルビア
早足で歩く廊下には、コツコツコツと私の足音だけが響く。
私、今なにを考えた?
一瞬優しくされただけで、心が揺らぎかけた。
バカじゃないの。望なんて、過去の人。
向こうにとっては他人と割り切れてしまうくらい、もうとっくに終わった人。
一方的にいなくなって、こんな、大して離れてもいない場所でのうのうと過ごしていた。3年間、1度の連絡すらもなく。
そんな最低な男の手をとろうと一瞬でも思うなんて、自分の愚かさに笑えてくる。
……膝も手も、痛い。
先ほどぶつけた箇所にじんじんと痛みを感じながら、戻ってきたアクセサリー事業部のフロア。
そこはやはり薄暗く、嫌な空気を漂わせている。
「……三好さん、」
「っ、」
後ろから呼ばれた名前にはっと振り返れば、そこには先ほど置き去りにしたはずの望の姿。
急ぎ足で追いかけてきたのだろう。その息は少し荒い。
「……なん、ですか」
「書類、1枚落としてたから」
彼がそう差し出したのは、確かに私の書類。慌てて集めたものだから、1枚忘れていたらしい。
「そこに、置いておいてください。あとで確認しますから」
ふたりきりで顔を見て話すことは出来ず、背中を向けて冷たく言う。
「じゃあ、ここに置いておくから。あとこれ、絆創膏もよかったら使って」
絆創膏、?
思い出したようにじんじんとする手を見れば、確かに私の右手には転んだ際に出来た小さな擦り傷からほんの少し血が滲んでいる。
……あの一瞬で、気付いたのかな。
その目敏さと、優しさが、一層胸を締め付ける。
「……いりません。持ち帰ってください」
「使わないようだったら捨てていいから。置いておくね」
どうして、優しくするんだろう。
他人のフリをするなら、何もかも関係のない他人でいてくれたらいいのに。
“優しい他人”だなんて、ずるい位置にいないで。