Darkness~暗黒夢~
繋がった視線
 その朝、携帯電話を耳に当てたまま、剣は息を呑んだ。スピーカーから流れる女性の事務的な声が、まるで剣を嘲笑うかのようなソフトな響きで鼓膜に伝えてくる。

「おかけになった番号は、現在、使われておりません」

 使われて……ない!?

 耳元で何度も繰り返される女性のアナウンス。剣は意味なく携帯電話をじっと見つめ、相変わらず息を呑みながら、ゆっくり、呼吸の速度を落とし、電話を切った。

 締め切った事務所の窓から容赦なく差し込んでくる太陽の熱視線。その鋭く眩しい光は事務所の床と壁に広がり、黒く沈み行く剣の気持ちとは裏腹に、白い輝きを放っている。剣は力なく、携帯電話を机に置いた。

 一体……。

 修正し、改訂したデザイン画を投函した翌日の朝、剣の事務所はそれまで共に働いてきた仲間を、失いかけていた。

 神楽……。どうして電話が繋がらないんだ?

 昨日、ここで顔を合わせた時はいつもと変わらず、普通だった。最近少し痩せた長身にクールビズスタイルで自分のデスクに座り、パソコンを器用に操作していた。

「ちょっと外回り行って来る。……多分、そのまま直に帰宅すると思うから」

 そう言い残し、少し浮かない顔で事務所を出て行った神楽。それを最後に、ぱたりと音信不通になった、自分と同じ長身の男。

 家に行ってみるか。

 携帯電話をデニムの後ろポケットに突っ込み、長くしなやかに伸びる細い脚にスニーカーをまとう。微かに音をたてる鍵の束を掌に事務所を出、鉄階段を下って駐車場へ向かうとそこには、黒光りする、流れるようなデザインの車が、剣の搭乗を待っていた。

 ピッと小さく音をたてて解除されるロック。剣は運転席のドアを開けると、慣れた動きで中に乗り込み、キーシリンダーに銀色のキーを差し込んだ。

 点火され、静かに唸りだすエンジン。剣は愛用のサングラスを左手でかけ、真一文字に結んだ唇で車を発進させた。

 景色を流しながらステレオの電源を入れ、車内に音を送り込む。フロントガラスに写る夏の空は曇った灰色を成し、過ぎ行く木々や高層ビルはまるで黒く塗りつぶされたようにべったりとしている。剣は道の流れに沿いながら、しなやかにハンドルを動かした。いつしか、エアコンから流れ出していた温い空気は、すっかり冷たいものへと変わっていた。

 信号待ちで停まった視界に、緑溢れる公園が飛び込んでくる。大きな噴水の側で、水着姿や裸の小さな子供たちが、喚声をあげながら、冷たい水の感触を楽しみ、夏の暑さからつかの間の解放感を味わっている。噴水から放たれる大量の水は陽の光を浴びて白く煌めき、青いキャンバスに弧を描いて水中に還って行く。

 水しぶきをあげながら遊ぶ子供たちの姿に、少しばかりノスタルジックな気持ちになる。と、信号が青に変わり、剣は意識と視界を前へと戻した。そのまましばらく車を走らせ、目的地に到着する。剣は慣れた操作で車を神楽の暮らすマンションの駐車場へ滑り込ませた。
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