Darkness~暗黒夢~
 優しい声で目覚めた彼は、ブラインドの隙間からこぼれる細い光に目を細めた。

「傷……痛む?」

 傍らの彼女の言葉に彼が右手を動かすと、そこには気付かぬ内に、白い包帯が巻かれていた。

「風呂……入る」

 真っ黒なシーツか敷かれたベッドを抜け、眩しい光差し込む白い部屋を、まるで逃げるようにバスルームへと移動する。残された彼女がキッチンに移動しながらじっとそれを見送っていた。

 綺麗に片づけられたキッチンで、サラダボールにしき詰められたグリーンボールが、朝の陽光を浴びて瑞々しい光を放っている。しかし、その生命の根源たる輝きは、今の二人には眩し過ぎた――。




 透明な液体が、ゆるゆるとバスタブを満たしてゆく。格子が張られた窓から滑り落ちてくる曇った朝陽がその液体に吸収され、ゆらゆらとゆらめいている。まるで、人の心のように……。彼はじっと、その様を見ていた。一矢まとわぬ姿で……。

 脱衣所の床には、まるで捨てられたように白い包帯が落ちている。彼の金色の髪が、陽の光を反射し、鮮やかにきらめいた。




 遅い。

 朝食を作り終えた彼女は、バスルームにこもったまま一時間経っても出てこない彼に、一抹の不安を覚えた。

 どうしたのだろう。にわかに心臓が騒ぎ出す。彼は普段から長湯の方だが、さすがに遅すぎる。しかも、水音一つ、聞こえてこない。昨夜の、自らの血を啜っていた彼の姿が一瞬、脳裏をよぎり、背すじに寒いものが走ると同時に、彼女はキッチンを出、アイボリー色のバスルームのドアを躊躇する事なく開けた。

「つる……」

 ヒタリと、脱衣所で彼女の足が止まる。彼女が身にまとっている白いワンピースが、その動きにシンクロしてゆらりと裾をゆらめかせた。

「剣……」

 脱衣所の先、浴室の床に、彼が座っていた。タイルの敷かれた冷たいその床に尻をつき、長く細い両足をだらしなく前へ伸ばして――。

「……い」静かなバスルームに小さく声が響いた。「寒い……」

 ゆらりと首を動かし、実に頼りない視線で彼が彼女を見据える。「寒い……」

 バスタブを満たしている透明で暖かな液体からはゆらゆらと白い湯気が立ち昇り、浴室内には熱気が立ち込め、ムッとしている。しかし、彼の肌や髪は、湯気でしっとり湿っているものの、バスタブに浸かった形跡はない。

 床に落ちている包帯に気付き、彼女は彼の華奢な肢体を強く抱き締めた。
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