大海原を抱きしめて


別の声で名前を呼ばれて顔をあげると、笠岡さんに鍵を渡された。


「先行ってろ。明日のツアーの話するから」


そしてまた奥の扉の向こうへと消えていく笠岡さんは、まるで私に逃げ道を作ってくれたような気がして。

佐伯さんに軽く頭を下げて、事務所を出た。

前々から、微かに感づいてはいたけど。

でも、佐伯さんの気持ちには答えられない。

私のことを思ってくれているんだとしても、情けだけでは付き合えない。

どうして、恋愛ってうまくいかないんだろう。

そう考えると、両思いになることってすごい奇跡で、とても素敵なことなんだな、って思う。

どれだけ真剣に思っても、相手が答えてくれるとは限らない。

事務所を出て、体を縮めた。寒い。

案の定、会議室も冷えきっている。

でも、備え付けの暖房のスイッチが入っている。

古いものだから、まだ点火はしていないけど。

笠岡さんが、付けてくれたんだろうか。
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