掌ほどの想い出
 その後、私は職場の先輩に、ある人を紹介された。
 その人は、左利きの理系さんとは正反対の右利きのスポーツマンくんで、初めて会ったのも確かサッカーの観戦だったと思う。
 よく喋りよく笑うその人は、失恋の痛手を抱えてぐずぐずしている私を、良い意味で強引に引っ張りまわした。営業職ならではのノリ、とでも言うべきか。気づけば私は、すっかり彼のペースに乗せられて、結局、今のこの生活に至るのだけど。
 それでも、幸せな日々の合間に、ふと魔がさすかのように、あの掌に乗るほどの、薄青い富士が頭をよぎる。
 なぜ彼は、あれを私に託したのか。その真意を知りそびれた私は、未だ、そこだけ宙ぶらりんなままだ。
 だから、何度も何度も考えてしまう。
 あの時、構内アナウンスが掛からなかったら。もっと大きな声で問いかけていたら。
 指輪なんて無視して、行ってしまう彼に追いすがっていたら――。
「さぁ、着いたぞ!」
 夫の声にはたと我に帰ると、娘は既に降りる支度を終えて、私をじっと見つめていた。
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