凪の海
 ここの工房でギター作りの修行をはじめることができたのだが、なにも、いつか自分が作ったギターを汀怜奈に贈ろうとは考えていない。汀怜奈にとって必要不可欠なギターを供給する名工となって、汀怜奈を見返そうという願いでもなかった。
 同じギターの世界に身を置くことだけが、あの天才ギタリスタと過ごした日々が、忘却の海に沈むのを防ぐ手段になるのだと感じていた。
 佑樹はギターを手にして、あらためてあの告別式を思った。そうだ、先輩はもう何処にも居ない。世界的な天才ギタリスタ村瀬汀怜奈の来訪の理由はわからないが、今日工房に訪れた彼女が、自分を必要としているとは思えなかった。
 佑樹は、足を動かさず、代わりに手を動かした。明日すればいい修理だったが、どうせ今夜は眠れそうにない。
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