凪の海
 雪はまだ降り続いていた。これから先へ行けるのか、うまく行けたとして果たして帰れるのか。ミチエは全く予測ができない。ヘタをすれば、駅での野宿を余儀なくされるかもしれない。いずれにしろ、か弱い19歳の乙女には、危険がいっぱいだ。
 泰滋は、今日塩山から帰ってくると言っていたが、こんな雪の日に戻れるわけがない。もう万年筆を返すなんてあとにして、このまま家に帰った方が良い。19歳の乙女として当然のあるべき判断だが、引き返そうとしても体が言うことを聞かなかった。
 一度目指したことは、何が何でもやり遂げろ。悲しいかな、インターハイまで行った体育会系のバスケ女子は、いつまでたってもコーチの教えを自分の身から拭えない。ここまで来ると、万年筆を届けて泰滋に会えるかもしれないとか、手紙をまた書いてもらいたいとか、そんなロマンチックな期待はとうに頭から消えていて、ただやり始めたことを途中で断念することが悔しかった。
 やおらベンチから腰を上げると、ミチエは果敢にも目蒲線の改札に歩みを進めた。蒲田行きの電車はまさにいま発車しようとしている。改札に近い、最後尾の車両に慌てて駆け込んだものの、同じように駆け込んだ多くの人の人熱れに、気分が悪くなる。より空間のある車両を求めて、ミチエは進行方向の車両に歩みを進めた。
 車両と車両をつなぐ連結部分のドアに、ようやくたどり着いたミチエであるが、気分の悪さももう限界に達していた。相変わらず電車は、停止と発車を繰り返して、遅々として進まない。意識も朦朧としてきた。真夏のスパルタ練習に耐え抜けたのも、チームメイトが居たからこそなのだろう。たったひとりでは、自分はこんなにもか弱いものなのか。ミチエの膝の力が抜ける瞬間、彼女を抱きかかえるものがいた。
「ミチエさん!なんで、こんなところに居はるんですか?」
 ミチエが、朦朧とした視線で声の主を見ると、それは泰滋であった。
 こんな映画のような話しは、後日誰に話しても、決して信じてもらえなかったという。しかし、信じもらえないならそれでもいい。この時ミチエは薄れる意識の中で、この男が自分の『運命の男』であることを確信したのは事実なのだから。

 ミチエが目を覚まして、まず一番最初に目に映ったのは、心配そうに覗き込む泰滋の顔だった。
「きゃっ!」
 驚きと恥ずかしさのあまり、布団の中に顔を隠すミチエ。
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