【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
ミサキ村。



 ぶちぶちと草をむしりながら、私は汗を拭った。

もう冬が始まろうという季節だが、さすがに中腰で一時間近くも作業をしていると額に汗がにじんでくる。日焼けしないようにと頬かむりした私の姿は完全に農家の奥様である。

 この地域の領主の家柄である北条家の当主夫人となった私が、なぜ額に汗して草むしりをしているのかと言うと、実は私は格式ばった北条家を嫌って普通の農家に嫁入り……したわけではもちろんない。
 単純に実家の自治会行事である狸寺の草むしり作業に借り出されただけのことである。

 なにしろ私の実家は今、これまで自治会の主戦力となっていた母が怪我の療養中で手作業が出来ないし、では弟はというとヤツは私の元彼と乱闘した一件で骨折中、弟嫁のかよちゃんは妊婦で屈んでの作業はちょっと……とのことで、今回は嫁に出てこの区域にはすでに住んですらいない私が招集された。

 私の夫である景久さんは北条家の使用人をこの草むしり作業に割り当てていいと言ってくれたけれど、さすがに実家の用で婚家の人を使うのは気が引けて、結局私が朱雀様のおつとめ後、急いでこの作業に参加することになった。
 はじめのうちは嫁に出てまで草むしりに召集されるわが身の不運を嘆いていたけれど、草むしりは思ったより面白い。腰の高さまで育った雑草を上手く根から引き抜いたときの爽快感はほかでは得られないものがある。


 巧の一件以来、私はなんとなく景久さんを避けていて、そのために自分でも気がつかないうちに日々ストレスがたまっていたらしい。私はいつの間にか草むしりに没頭していた。
 ふと気がつくと、私の隣で茶色の塊が動いた。

 サルか!?


「ぎゃあああああああああ!!」


 てっきり一人で作業しているものと思い込んでいた私は、驚きのあまり悲鳴をあげて尻もちをついた。たかがサルと侮ってはいけない。サルだって食べ物の少なくなる晩秋から冬にかけての時期は人里に下りてきて人間の畑を荒らすのである。食料が十分に得られない年などはいきり立って人を襲うこともあるのだ。


「なんだァ、佐倉んとこの美穂さ(美穂さんの意)じゃねっかァ。もう草とりは終わりだよォ」

 茶色の塊と見えたものは、この寺の住職だった。この寺では自分たちの食べるものはすべて寺の裏に作った畑で賄っている。そのための農作業が住職を日焼けさせたようで、住職は完全にうす茶色である。その日に焼けた住職が茶色っぽい股引をはいて作業をしているので全身が茶色のサルのように見えてしまったらしい。



 十分後、私は軒先で干し柿を頂きながら、自治会の男の人たちが草の入ったゴミ袋を軽トラに積み込んでいく作業をぼうっと見つめていた。


「十年ぶりじゃねえ。美穂さがここに来るのはねぇ……」

 茶色の塊もとい狸寺の住職は歯のない口をもぐもぐさせてそう言った、のだと思う。
 実際に私がここへきたのは二十年近く前の話だと思うが、御年九十過ぎの住職には十年も二十年も同じように思われるのだろうと察したのであえて訂正はしない。
 それほど長らくこの寺に縁のなかった私のことをよく覚えていたなと嬉しい気持ちになってしまう。


「美穂さがとうとう嫁(よめ)することになったて聞いてねぇ……めでたいねぇ。次は赤ちゃんじゃねぇ……楽しみじゃねぇ」


 この地域の古い方言で嫁に行くことを「嫁する」という。お年寄りしか使わない古い言い方だ。


「は、はは」

 このセッ○スレス状態では赤ちゃんは無理だと思うのだが、さすがにこれはよそ様に話すようなことではないので、私は愚痴りたいのをぐっとこらえた。


「ところでどこに嫁することになったんじゃろ、別所の田村んとこかね」

 どうして母も住職も私を田村の長男に嫁がせようとするのか。親子ほど年の差があるのに。

「いいえ、北条の景久さんの所に片付きました」


 若干の恥ずかしさがあるので嫁にいったとはいわず、片付いたと答えると、住職は皺に埋まった目を大きく開いた。


「へえぇ、美穂さがねェ……。それに景久か。彰久でなくねェ。彰久が当主なら嫁は北佐倉のももさだと思っとったがね」

 北佐倉というのは最近めっきり少なくなった朱雀信仰のある家で、我が家ともわずかながら血のつながりがある。
 このあたりは佐倉という名前が多いので、本家筋の佐倉は名前のはじめに北をつけて北佐倉、分家はただの佐倉と呼んで区別している。ももさというのはその本家筋の北佐倉の長女、桃ちゃんのことで、彼女は現在小学三年生の巫女さまだ。
 現在九歳の彼女と17歳の彰久ならまあ私と彰久が結婚するよりは年の差が小さく、北条家の先代巫女さまが早死にしなければきっとももちゃんと彰久が結婚することになっていたのだろう。


「運っちゅうのはわからんもんじゃ、どのみちミサキ村の出の者(もん)しかあの北条の嫁さはつとまらんけ、少々えらい(大変な)ことがあってもあの家を捨てちゃいけんよォ、あの家は巫女さまがおらんでは立ち行かん家じゃぁ」


 ミサキ村……?私はそんなところに住んだことはない。それにあの村の者でないと嫁はつとまらないとはどういう意味だろう。

「お住(じゅっ)さん(住職さん)、ミサキ村ってなんですか?私はミサキ村の住人じゃないですよ」


 住職は皺に埋まった目を小さくしばたかせた。

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