【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
朱雀の秘密。


「先代の巫女さまも、先先代の巫女さまも、朝は一番に本殿に控えておられ、夜は日がくれるまで一心に祈っておいででした。遅刻をなさったことなど一度もございません」

 寝坊が原因で三度目の遅刻をかました私は、とうとう榊さんにそういわれてしまった。

「景久様はお心の深いお方でございますから何も仰いませんが、巫女さまの御祈願がこの北条家を守り立て、ひいてはこの地域全体の下々のものの生活を潤すことになるのでございます。世が世ならば巫女さまの御肩にこの地域何万の民草の命がかかっているのでございます。そのことをくれぐれもお忘れなきようお勤めくださいませ」

 昨夜遅くまで私がそのお心の深い景久さまとやらの殺害計画を練っていたと知ったら、榊さんはどんな顔をするだろうか。
 ふふ、きっとものすごく驚いて何もいえないんだろうな。
 榊さんの呆然とした顔を想像しながら彼女の説教を聞き流していると、よく手入れされた本殿の庭を、朱雀様が横切った。

「……」

 何をやっているんだあの人。(人じゃないが。)
 先日、ミサキ村に現れたときは意思を持って私に接触してきた朱雀様だが、あれ以来、彼はときどき私が本殿にいると姿を見せるようになった。祭礼の日の朱雀様は凶暴でおそろしかったが、それ以降現れる朱雀様は穏やかで、幼児のように基本的にはぼうっとしている。

「巫女さま、おわかりくださいましたか?毎日のお勤めは最低限のことでございます。もう巫女さまもこの家にお入りになって三ヶ月。慣れてきたころあいでございましょうから、このあたりでお心を入れ替えて真面目にお勤めくださいませ」

 榊さんは私の集中力が切れてきたのを感じ取ってのか、説教を切り上げて私に金の柄がついたハタキを渡した。
 
 巫女さまのおつとめには掃除も入っている。といっても形式的なもので、本気の掃除は榊さんたちが済ませていてくれる。私は朱雀様のご神体とされる小さな鳥の形の置物にハタキをかけて祭壇の周りを拭くだけ。おそらく昔は巫女さまが本気掃除から供物の管理、ご祈祷までこなしていたのだろうけれど、今の北条家は当主が安定志向でグループの経営も順調なせいか、あまりご祈祷まで求められることはない。
 先代巫女さまは夫である孝昌さんが野性の勘で会社を経営するタイプだったせいか、ご祈祷は熱心だったらしいけどねえ。

 私は実家にいたころと同じスタンスで適当に鳥の置物にハタキをかけ始めた。
 すると、冷たく高雅な香りが部屋に流れ込んできた。


 菊……。
 朱雀様?


 顔を上げると、朱雀さまが私の脇に立って、白い狩衣の袖で置物の台を拭き始めた。
 驚いてじっとその様子を見守っていると、彼は目を上げて私に微笑んだ。その幼い表情は完全に幼児のそれである。

 青年ともいえる容姿の彼が幼児のような無心の笑みを浮かべる様子は奇妙にも見えるが、祭礼でのあの凶暴な朱雀様に比べたら随分親しみやすい。
 だんだんこの唐突な彼の現れ方に慣れてきた私はこの間、ミサキ村で彼に言われた「いね」の意味を彼に聞いてみたくなった。

「朱雀さま、一つ聞いてもいいですか」

 彼は手を動かしながら、私の声など聞こえないような顔をしている。けれど、消えてしまわないところを見ると私のことはそれほど嫌っているようには見えない。祟り神とも呼ばれる謎の多い男に自分から問いかけるのは少し怖かったけれど、この人と意思疎通が出来たら、景久さんとの離婚も認めてもらえるかもしれない。だってこの家の不幸と繁栄はこの神がこの北条家に祟るところから始まっているのだもの。

「前に、ミサキ村で、どうして私に去ねって言ったんですか」

 朱雀様は切れ長の目を少し動かして手を止めると、祭壇のずっと奥に置かれている漆塗りの二階棚を指差した。
 あのあたりは私が掃除を受け持っている場所ではなく、榊さんやその身内の女性が毎日きれいに磨いている場所なので、私はまだ一度もその二階棚に触れたことはなかった。

「……この二階棚が、何か……?」

 尋ねてみたけれど、朱雀さまはちょっと振り返って小さく呟いただけだった。

「い……ね」

 触ってはいけない、離れろ、そういう意味かしら。でも、朱雀様がここを指差したんだから、それもちょっと違う気がする。まあいいや、本当に触っちゃいけないものだったらミサキ村のときのように私の手をとって止めるでしょうよ。
 私はそう判断すると二階棚に触れた。小さな香炉が一つ、飾りのようにしておかれているほかは、漆塗りの黒い文箱がいくつかきれいに紐をかけて仕舞われている。
 朱雀様は涼しい瞳でじっと私のやることを見守っている。


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