【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】
「美穂さは補陀洛渡海(ふだらくとかい)ちゅうのを知っとるかの。
これは捨て身行というて、行者が船に乗って祈りながら海に出て、そのまま南方にあるといわれる浄土を目指して海に流されるちゅう行じゃぁ。
ここまで言えばもう分かると思うが、船はそのまま朽ちるまでずっと漂流する。中の行者は衰弱死か水死するものと決まっとるでな。きつい行じゃ。
ここらの海でも一度だけそれが行われてな。
行者は年端もいかん北条の若様(わかさ)じゃった。
もともとの渡海は修行者がやるもんで、子どもにさせるような行ではねぇ。
海辺の集落では昔から不漁続きだったり海が荒れたときなんかには海に生贄をささげるちゅう習慣があったもんでな。その人身御供の習慣が補陀洛の思想と混ざり合った結果、ろくに否(いな)やも言えねぇ幼い若様が犠牲になったんでねえかなぁ。
若様の母親がそれは嘆き悲しんでな。実家のあるミサキ村に帰っておったほうじゃが、とうとう古井戸に身を投げて亡うなったほうじゃ。
ほの(その)後、北条家は何度も不幸があって何度か嫁をとったがみな命をとられ、結局お家は断絶してしもうた。
海も荒れてな。不漁続きでこのあたりの漁村は村を捨てて逃げるものが相次いでなぁ、若様の母親の怒りを静めようと、母親の実家があったミサキ村のおなご、これが若様の従姉妹に当たるらしいが、ほのおなごが北条の巫女さまとなってようやく魚が獲れるようになったほうじゃ。
古い話じゃでもう知るものもないじゃろうが、死(い)ぬ前に北条の巫女さまになった美穂さに話しておけた。これも縁ちゅうもんじゃろうか」
住職はそう話を締めくくり、熱い生姜湯をすすった。
「そんな話があったんですね……。話してくださってありがとうございました」
若様の母親、つまりいねはミサキ村の出身だったのだ。
何代も何代も、ミサキ村の血を引く女しか北条家の巫女さまになれないのは、一男をあげながらも身分が低いゆえにとうとう雅久の正室となることができなかったいねの悲しい執念からきた祟りだったのだ。
「美穂さが帰ったあと、いつも物忘れのひどいはずが、どうも気になってな」
「それで、お住(じゅっ)さん。その若様の母親は、その後供養はされたんでしょうか」
「うーん、それは昔の話じゃもんでわからんなぁ。ただ、ミサキ村には祠が残っているほうじゃ。母親の祟りを鎮めるために、当時このあたりで盛んに信仰されていた朱雀様のお社をたてたほうでな。ミサキ村といっても広いで、それがどこにあるのかはもうわからんがなぁ」
祠……。
きっとあのお社のことだ。
朱雀様が現れたのでちゃんとあのお社を調べることはできなかったけれど、あれは朱雀様のお社ではなく、若様の母親、つまりいねの祟りを鎮めるために作られたものだったのだ。
あの村が廃村になる前はどうだったのか分からないが、彼女のためのお社は無人になった村の中で、潮風に晒されほとんど朽ちている。
いねの生きた時代からもう長い年月がすぎて、彼女の存在が地域の人々の意識から消えていくのは仕方のないことなのかもしれないけれど、いねのためのものといってはもうあのお社しか残っていない。北条雅久と彼女の間のの息子である若様は生きたまま海に流され、その生きた痕跡すら残らず、彼女自身も雅久の正室に憎まれ辛い暮らしを送ったことだろう。それなのに、身分が低いゆえにこんな辛酸を舐めたあげく、結果がこれではあまりにかわいそうだ。
彼女の深い恨みを癒してあげることは私一人の力では難しいかもしれないけれど、せめてできることはしたい。
あのミサキ村のお社は廃村にぽつんと残されて誰も世話をするものがない。海に臨む形で建てられているので潮風に晒されやすく朽ちるのも早い。
古くなったところは新しくして、壊れたところは修理しよう。
私はあのミサキ村の村人たちの子孫、つまりいねの子孫でもあるわけだから、今後は私の手であのお社のお世話をしよう。
巫女さまと呼ばれ、あの本殿で一番格式の高い扱いを受けながら、私は自分がなぜ巫女さまとならねばならなかったのか、私に求められることなのかがなんなのかイマイチ分からずに過ごしてきたけれど、今、その理由を見つけた気がする。
「お住さん」
「んん?」
「私、あのお社をきれいにしてきます、丁度今年は実家のお社をきれいにする年ですからミサキ村のお社も一緒に新しくします」
お社を建て直すのには最低でも数十万円が必要になる。けれどお金がかかってもいい。
私は彼女のお社のお世話をしながら、いねと、いねの悲しみを慰めようとするあまり彼女と同化してしまった朱雀様の気持ちに寄り添ってみよう。
そうしていれば、いつか北条の家に絡みついた、神と人の思惑を少しずつほどいていけるかもしれない。少しずつあの家に生まれた不幸な人々を開放してあげられるかもしれない。
それが私の朱雀の巫女としてのあり方だ。たぶん、そうなのだ。
お住さんは私の顔を見てその目を細めた。
「美穂さはちんまい(ちいさい)ときからほんに変わらんのぅ。まァ、あんたにゃどういうわけか朱雀様が懐(なつ)いておられるで、行っても悪いことはないと思うが、よぅ気をつけて行きなはいや」
私は頷いた。
まだ自分の巫女としてのあり方に気づいただけで何も取り掛かってはいないけれど、私は自分の中に眠る巫女の血がはじめて誇らしく感じられた。
私は景久さんの巫女さまになるべくしてなったのだ。
私はけっして桜子さんを救うためだけに北条家に閉じ込められた籠の鳥じゃない。
巫女には巫女の役目がある。
たとえ景久さんが私を見ることが永遠にないとしても、私は誇りを持って景久さんの巫女であることができる。
景久さんに深く愛されている桜子さんが今でも少しうらやましいけれど、人には役割というものがある。愛される人がいる一方で、愛されることではなくほかの役割を持って生まれてきた人がいる。人は必ずしも自分の欲しい役割を引き当てるわけではない。私はそれをよく知っている。
長くかかるかもしれない。一生かかってしまうかもしれない。
でも私はようやくみつけたのだ。どんなやりかたで愛するか、それを見定めたのだ。
この役目を果たしたとき、初めて私は胸を張って景久さんと別れることが出来る。このいびつな関係を清算し、彼を彼の望む人生に戻してあげられる。そんな気がした。
狸寺の本堂を出て、ひゅうひゅうと冷たい風の吹きすさぶ、澄んだ空を見上げた。
どうやら、私は自分でも気付かないうちに景久さんを愛していたみたいだ。
ちょっと好き……そんな限度を越えて、愛してしまった。
聡明なのに、自分のために生きられない馬鹿な景久さん。時間がかかるかもしれないけれど、待っていてほしい。いつか、いつかちゃんとあなたを送り出してあげるから。巫女として。