【反省は】玉の輿なのにやらかした件。【していない。】


「あれはあなたのものですよ。
 今まで何度もショッピングにお誘いしたのに一緒に来てくださらないので、失礼ながら僕が選ばせていただきました」


 そういえば一度だけ、パーティドレスと着物を誂えるのにサイズを測ってもらったことがあった。その時に入手した私のサイズを元にあのクローゼットいっぱいの服を用意したんだ。


「えー……」


 私の記憶では、一度景久さんの言うショッピングにお付き合いしたじゃないか。あの時はAラインのワンピースと、それからゴルフもしないのにゴルフウェア、テーラードジャケットも買ったはずだ。それも私の趣味ではなくって……景久さんの趣味のものばかり。
 嫁に自分好みの服を着せるのは男性の心情としてまあ理解できなくはないので、数着ぐらい景久さん好みの服が私のクローゼットに入ることになってもなんとも思わないが、ワードローブすべてが景久さんの選んだものだとなると話は別だ。

 これから私は彼の……ううん、この家の着せ替え人形になるのだろうか。
 ある程度この家にあった奥様になるべく努力は必要だろうけれど、これじゃ……。


「お気に召しませんでしたか?外商を呼んでとりかえさせましょうか。サイズも確かめずに買ったので僕も自信がなかったのです」

「いや……そうじゃないですけど、ベベスチュアートのワンピースやジュリアーノブルーの新作を普段着にはできませんよ」


 彼は驚いたように目を見開いた。


「なぜ?」

「なぜってあんな高級品、もったいないじゃないですか。気を使って食事もまともにできません。肩もこりそうだし」


 景久さんはうんざりしたように天を仰いだ。

「汚したらまた買えばいい。心配しなくてもあなたに代金を払わせようとは思っていませんよ。
 服にお金をかけることよりも北条家の当主夫人が千円のニットを着ているほうが失うものが多いんです」

 いつもの彼よりも言葉に棘がある。私は思わず眉間に皺を寄せた。


 私のニットは確かに千円だったが、下品なデザインでもないシンプルなものだ。
 なのにどうしてこんなにうんざりした顔をされなきゃならないのか。これまでの彼は私の話を丁寧に聞いてくれていたと思うのだけれど、今は手のひらを返したみたい。今は私にうんざりしているっていうのがひしひしと伝わってくる。
 たぶん今の彼にとって私の服なんか貧乏臭くなければどうだっていいし、できれば黙って用意されたものを着て欲しいのだ。
 結婚を申し込むときには私がこの家に何もかもあわせる必要は無いし二人で互いの生活に折り合いをつけていこう、みたいなことを言っていたくせに、いざ蓋を開けたらまずは衣装改造からはじめるのか。千円のニットの何が悪い。


「なんだか腹がたつので帰っていいですか」


 彼は驚いたように私の顔を見た。


「何か気に入らないことでも?もちろんそんなこと、僕は許すわけにはいきません。僕の選んだ服が気に入らないなら今から外商を呼んですべての服を、」

「もう結構。忙しいときにつまらない話をして悪かったわ」


 私は立ち上がって景久さんの部屋を出た。

『許すわけにはいきません』ってなんだよ、私がどこへいこうがあんたの許可を取る必要は無い。
 そりゃ結婚前に猫をかぶるのは男も女も同じだけど、あんたのかぶっていた猫はデカすぎるし、猫を剥いたら中身がこんなだなんて聞いていない。
 足音を立ててリビングを横切って自室に戻ろうとすると、景久さんが追いかけてきた。


「美穂さん、待ってください」

「待ちません。私は三十年連れ添った古女房じゃないんだからいきなり不機嫌をぶつけられても私はあなたの心情を察することなんかしませんし、無条件で強制されたことを好意的に受け入れることもしません。
 それと、あなたが人に苛立ちをぶつけるときに、平気で人の自尊心を傷つけられる人だと知ってがっかりしました。あなた、上っ面は紳士だから。
 私は今詐欺にあった気分なんですよ。そういうわけで、今日はもうあなたと話したくありません」


 景久さんは立ち上がって私の腕をつかんだ。


「待ってください、美穂さん」


 私は腕を引いた。つかまれたところを引いたのでひどく肩がきしんだ。


「いた……っ……」

「すみません、でもまだ話は終わっていません。座って話を聞いていただけるなら離します」

「触らないで。痴漢って叫ぶわよ」


 どうも景久さんは痴漢などと呼ばれたことは今までの人生で一度もなかったらしい、大きな瞳が転がり落ちそうなほど目を見開いた。


「僕はそういうつもりであなたの手をつかんでいるのではありません」

「あなたがどういうつもりあっても、やってることは痴漢と同じですよね?ここが東京の駅だったら、もうすでに誰かが鉄道警察を呼んでいるでしょうね」

「それは……」


 景久さんが言葉に詰まっているうちに、私はさっさとリビングから廊下に出た。
 廊下の先は階段になっていて吹き抜けの玄関ロビーが見えている。ちょっとした来客もそのまま待てるように、いくつか椅子とテーブルをすえたその空間はホテルのそれによく似ている。


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