小春日和





学校見学で一度来たことがあるけれど、高校は中学校よりも遥かに大きい。


3クラスしかなかった中学校なのだから、大抵の学校は大きく感じてしまうのだろう。


他の人から見れば、寧ろこの大きさが普通なのだ。


駐輪場に自転車を止めるところから苦労をし、クラス分けが貼ってある掲示板で自分の名前を見つけることにも苦労をし…


クラス付いた頃には、私は精神的にも身体的にもダメージをくらっていた。


これから毎日とはならないだろうが、あの人混みに揉まれる位なら遅刻してゆっくり登校したいと思った。


湊は1つ教室を挟んだクラスへ私より先に歩いて行った。


私はというと、自分のクラスを目の前にして、廊下とドアを交互に見ているだけでなかなか先へ進めずにいた。


立ち止まっていては人の邪魔になると思い、私は恐る恐る目の前のドアを右手で動かした。


開けてみると、思っていたより人が少なくて安堵した。


綺麗に掃除された黒板には座席表が掲示されていて、出席番号で1列目から順に席が割り振られていた。


窓側から数えて2列目の前から5番目、そこが私の席だった。


もう一度確認してから席へ目を向けると、1人だけ窓に一番近い列に座っているのが見えた。


肩に掛けた鞄の紐を握る手に力が入る。


私は前から席を数えていき、自分の席の前で足を止めた。


隣の席の人は既に席についていた。


教卓の目の前から見た女の子が私の隣の席に座っていたのだ。


私は掲示板のクラス分けを思い出して、彼女の出席番号である38番に書かれた名前に惹きつけられたのを思い出した。


『38 花宮冬』


窓の外をぼんやりと見つめたまま、花宮さんはチラリとも私に目を向けてくれない。


花宮冬、さん。


脳内で再び名前を復唱する。


名前を見た時は、私の好きな小説家がヒロインに付けそうな名前だと思った。


だから印象に残ったのだ。


姿を見た今は、彼女は本物の女優かモデルなのかと考えている。


名前に負けない、私が今までの人生で出会った人の誰よりも彼女は美しい容姿をしていた。


外の風景を映した瞳は眩しく輝いている。


横顔を見ただけで見惚れてしまったのは生まれて初めてだ。


「後ろ、通りたいんだけど」


背後から聞こえた色のない声で我に返り、私はそっと椅子を引いてゆっくりと腰を落とした。


その時、微かに花の香りが鼻をかすめた。


甘く、柔らかな香り。


私はその香りに誘われるように遠慮がちに横目で花宮さんを見た。


短くて柔らかそうな色素の薄い髪と白い首筋が窓の外に咲いている桜と同時に私の瞳に映り、美しい一枚の絵となる。


そこには彼女だけの空間があった。


私は息を吐いて、目の前にあるそれに手を伸ばし、触れた。


ビクリ、と彼女の身体が揺れる。


ドクン、と私の心臓も同時に跳ねた。


質感は近所の猫に触れているような感じだ。


それなのに、胸が妙にざわつく。


彼女に触れた指が小さく震えだしていることに気づく。


それでも不思議と、彼女から手を引く気にはならなかった。


ザァッと風に煽られて木々が枝を揺らす。


私は思わず声を上げそうになった。


彼女がゆっくりと身体を私に向けたのだ。


髪から頬、頬から唇へ、指が彼女をなぞった。


指から全身へ痺れが伝わってくる。


また、風が強く吹いた。


彼女に視点を合わせているせいで、舞い散る桜の花弁はただ白く見えた。


「雪…」


呟いた言葉に彼女は唇で弧を描いた。


「冬だよ」


指に生温い湿ったものが触れる。


濡らされた指先で彼女の吐息を敏感に感じた。


泡立つ肌と絡みあう視線が私の羞恥心を掻き立てる。


私は彼女から素早くゆびを離し、視線を自分の机へ向けた。


握り締めた手は、彼女の唾液と自分の汗で湿っている。


自分がした事が信じられない。


それと同時に、彼女にからかわれた気がして腹立たしいとも思った。


先に触れたのは私だが、指を舐めるなんて…。


呼吸をするのさえ辛くなっていたが、縮こまらさた身体を戻すことができなかった。


俯いていた私の顔を上げさせたのは、真っ白な腕だった。


それは私の顎を掴んで、再び窓側へと視線を戻させた。


しかし、それだけだった。


花宮さんは向かせておいて声を掛けてく気配すらない。


ただジッと、私を見つめているのだ。


「あのっ…」


声を掛けると、花宮さんはまた柔らかく微笑んだ。


「野咲 春さん」


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