押してダメでも押しますけど?
「『ソルト』の新作のフレイバーならあるけど。」


「ホント?」


『ソルト』はチョコレートの中に塩を入れた夏季限定の商品で、オレンジ、ミルク、ビター、キャラメルの4種類があったはずだ。


「新作のレモンがあるから。それでいい?」


「うん。いい!すごくいい!!」


これで、社長の機嫌もなおるはず!


ホッと一安心していると、奈々がジーッとこっちを見て来た。


「な、何?」


綺麗で辛辣な奈々に見つめられて、色んな意味でドキドキする。


「いや、良かったなと思って。」


「何が?」


「あかり、良い顔になったよ。

 前の会社で働いてる時はさ、何か、顔ヤバかったもん。」


「顔ヤバかったって酷い・・・」


まぁ、自覚はあるけど。あの時は精神的プレッシャーが凄くて、プライベートでも全然余裕が無かった。


「正直、今の仕事の話、聞いてるとさ、秘書っていうより子守りって感じがするけど、あんたにはあってんのかもね。」


まぁ、それもどうかと思うけど、それより奈々がそんなに心配してくれていた事に驚き、嬉しくなる。


「お子様社長も悪くないんだろうね。」


「うん。」



「じゃあ、ちょっと待ってて。」


「わかった。ありがとう。」


奈々はチョコレートの準備をしに部屋を出て行った。


奈々の言う通りだ。



確かに、今の仕事は普通の社長秘書とは少し違うのかもしれない。


少なくとも、前に秘書をしていた時とは全く違う。



他の社員からも子守りだと言われる事もある。


それでも私に不服は無い。


その理由は明確だ。



うちの社長は、思わず何かをしてあげたくなる人なのだ。


子供ような社長だが、彼は決して人を侮辱したりはしない。


まぁ、マトリョーシカの様な一件はあるが・・・。



あのとき、


「失礼ですよ!!」


たしなめた私に、彼はいたずらっ子のような顔で笑った。


「立川さんだって笑ったろ?

 それなら、共犯だ。

 大丈夫、本人には絶対に言わないから。俺と立川さんだけの秘密だから・・・」


あの時の笑顔が忘れられない。



彼はずるい男だ。


子どもっぽいくせに有能で・・・


常識が欠けているのに思いやりがあって・・・



完璧で理想で憧れだった上司は仮面が取れて、我が侭な子どもなった。


その所為で、憧れとは少し違ってしまったけど・・・


それでも、ずるい彼は私の理想の上司であり続けている。





この日、昼食から帰って来た社長が、私の嘘に気づいた後、レモン味のチョコ1つで機嫌を直した。
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