僕は、立派なトマトになりたかった。
短編


ーーー「ぼくは、おおきくなったら、りっぱなトマトになりたいです!りっぱなトマトになってママにたべてもらいたいです!」
画面のなかに映る幼稚園児の自分は、顔を紅潮させながら堂々とそう言っていた。 
古くなったビデオカメラを処分する際に、DVDに焼いておくものを決めようとテレビに繋いで父親と見ていたのだが……まさかこんなに恥ずかしい代物が写し出されるなんて思っても見なかった。全然記憶にないものだから、正直面食らってしまった。
「うわっ、なにこれ。恥ずかしい。本当小さい頃ってちんぷんかんぷんだよなー。全然覚えてないよ」
恥ずかしさを紛らわす様に俺は父親に向かってそう言うと、何故か親父は黙って下を向いていた。
ーーー『ママの……』
テレビ画面がグラリとゆれて床を映し出したと思うと、唐突にプツリ、と音をたてて動画が終わってしまった。
辺りをしっとりとした静寂が包む。
普段は明るすぎるほど明るい親父が何故こんな姿になっているのか。俺は想像出来なかった。
「なぁ。これ、消していい?」
静寂に堪えかねてそういうと、親父はゆっくりと顔をあげた。 
見たこともないような泣き顔だった。子供のように顔をくしゃくしゃにして、鼻水をうっすらと漂わせながら、親父は泣いていた。 
少しの静寂が保たれた後、親父は口を開く。
「それだけは、駄目だ」
真剣に、端的に。言葉を絞りだすようにそう言うと、また黙りこんでしまう。
「わかった」
只事ではない雰囲気を察して俺はそれだけを言うと、逃げるように次の動画を写し出す。
運動会、学芸会。俺の行事という行事が事細かに撮られている。
まぁよくもこんなに溜め込んだものだ。
結局、消すものは殆どなく、気まずい空気のまま全ての動画が終わってしまった。
夕日が差し込んでいた室内はいつの間にか月夜に照らされており、場の空気を変える勢いで立ち上がると、電気のスイッチを押した。 
「もう遅い。今夜は外で飯を食おうか」
蛍光灯がチカチカと電気を燻らせている間に、親父が突然そんなことを言い出した。 
キッチンに作り置きされたカレーが目の端に写ったが、親父の態度が如何せん先程と同じテンションなので突っ込むことも出来ずにただうなずいた。
「先に車に乗ってる」
玄関に向かうと、先に支度を終えた親父がそう言って足早に外へ行ってしまった。 
なんだよ。親父のやつ。待ってくれてもいいのに……へんなの。
靴を履きながら、今日の父親の異様な態度に腹を立てる。
長年父親と二人で上手いことやってきたつもりだったし、こんな空気になった事はいままで無かったので、正直驚いてしまっていた。 
「はぁ……」
気まずいなぁ。 ため息が自然に出ると、何時もより重たい扉を開けた。
車に乗り込むと、親父は腫らした目をチラリと此方に向けて俺が乗り込んだのを確認してエンジンを掛ける。相変わらず会話はない。
そういえば、車に乗ってまで飯を食べに行くなんて久しぶりだ。 
男二人で外食なんて精々近所の焼鳥屋くらいなもんで、今日は変な事が続くなぁと思った。
暫く車を走らせると、街の景色が住宅街から田圃が目立つ風景に変わっていく。
どこまでいくんだか。そう不満を募らせていると、車がピタリと止まった。
父親は何も言わずそそくさと車外に出てしまう。慌てて俺も降りる。
辺りは先程の景色と変わらず、畦道が続く田園地帯を優しい月明かりが照らしていた。
父親はずんずんと進んでいって、俺はただ後ろを着いていく、そんな光景が暫く続くと、畦道から急に建物がたくさん並んでいる細い路地が出現する。 
薄暗い路地は少し不気味であんまり入りたくはなかったけど、父親がなんの躊躇もなく進んでいくので仕方なく俺も着いていく。 
こんな所に食べ物屋なんてあるのかよ。
そんなことを思いながら歩いていくと遠くに赤い提灯が並んでいるのが見える。 
所謂中華提灯と言うやつで、丸みを帯びた小振りな提灯だ。 
父親はそれを見つけると少し足を早める。
どうやら今日の夕飯はあそこで食べるらしい。
案の定父親は赤提灯のある所で足を止めた。
俺も続いて赤提灯まで辿り着くと、提灯のすぐ上に萬福と書かれた看板が掲げられていた。
あれ?
少し年期が入っているその看板に、俺は何故か見覚えがあるような気がした。
見たところフランチャイズでは無さそうだし、かといってこんな田圃を進んだ道を通って飯を食いに行った覚えもない。 
不思議に思って立ち止まっていると、親父が萬福のドアに手をかけ入っていってしまった。
なんだかモヤモヤしたまま店内に入ると、またもや見覚えが在るものがおいてある。 大きな丸テーブルに、龍の置物。 なんだか狐に摘ままれている気分だった。 
「いらっしゃいませ。奥のお席へどうぞ」
店の奥からふっくらとした小柄な老女が出てきてそう言うと、俺達は大きな丸テーブルへと案内される。俺達以外に客が居なかったからか、二人には少し大きすぎるテーブルだった。
椅子に座ってメニューを見ようとすると、親父が颯爽とメニューを取っていってしまう。 
そのまま素早く店員を呼び注文すると何やらメニューに指をさして何点か注文しているようだった。
差し出された水をチビチビと飲みながら料理を待っていると、奥から前ほどの店員が小皿と料理を持ってくるのが見えた。 相変わらず会話は一切なかったので、なるべく早く食って帰ろうと思った。
「トマトの姿剥きでございます」
女性は皿をテーブルの真ん中に乗せた。テーブルにはトマトの皮が綺麗に剥かれて、海月などが乗っている中華料理の前菜が乗っていた。
「あっ……」
その料理を見た刹那。鮮やかなトマトの赤色を見た刹那、俺は昔の記憶が鮮明に、血液に、脳に、からだ全体に巡って行った。


俺はこの店に来たことがあった。



ーーー『ママ。最近ぐあいわるいの?』
幼い自分は、父親、母親と『萬福』で食事をしている際唐突にそんなことを聞いた。
その時既に末期の癌に冒されていた母親は、自宅で家族と最期の時間を過ごす、そんな時だったのだろう。 
少し母親は狼狽えながら口を開く。
『ごめんね。心配かけて。でも大丈夫よ』
気まずい空気の流れる中、ふっくらとした叔母さんが料理を運んでくる。
『トマトの姿剥きでございます』
赤くて、綺麗なトマトの料理。それを見た母親は続けて言う。 
『あっ!このトマト立派ね!立派なトマトは凄いんだから。ママ、このトマト食べたらきっと元気になるよ』
『そっかー!よかったぁ』
今思うと母親の苦し紛れの言葉だったのだろうが、それを聞いた幼い自分は、トマトが凄く格好良く思えたのだった。

それから少し時が経ち、幼稚園の卒園式。将来の夢を語るプログラム。あの動画の正体である。

ーーー『ぼくは、おおきくなったら、りっぱなトマトになりたいです!りっぱなとまとになってママにたべてもらいたいです!ママのびょうきがなおっちゃうくらい、りっぱなとまとになりたいです!』






「親父。全部、全部思い出したよ」
全部大事な思い出だった。母親と幸せに過ごした記憶。 
気が付くと涙が溢れていた。
慌てて涙を拭った後、親父の方を向くと、親父も泣いていた。
「あのビデオみたら、無性にこのトマトが食いたくなってな」
そういいながら、親父はトマトに箸をつけようとしない。
「なぁ、親父。俺、立派なトマトになれたかな……」
親父に問う。
「当たり前だろ!おめぇは、産まれたときから立派なトマトだったよ」
くっさい言葉にくっさい返し。ヘドが出そうになったが、なんだかそれが可笑しくて親父と目が合うと馬鹿みたいに笑った。親父の顔はまだくしゃくしゃで、泣いていたけど、もういつもの親父に戻っていた。
俺はそれを見てまた泣けてきて、照れ隠しにトマトを箸で割ると、口に放り込む。
すっかりトマトは暖まってしまっていたが、凄く、凄く美味しく感じた。 その後のメイン料理が何だったか覚えて無いくらいに。




ーーー僕は、立派なトマトになりたかった。





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