今しかない、この瞬間を
階段の上からは角度的に見えなそうな位置で、壁に隠れて、そっと覗いてみた。

どうか私が思ってるようなことが起きていませんようにって、一生懸命祈りながら。


だけど、目に入って来たのは、そんな私の思いを嘲笑うかのような光景。

階段を降りる朱美さんを呼び止めた彼が、彼女を手首を掴んでいる。


振り返った朱美さんと彼は、とても優しい表情で微笑み合っているようだった。

それだけでも、耐えられない。

嫉妬とショックで押し潰されそうになる。


なのに、その後すぐ、彼は階段を数段降りると、とても大事そうに朱美さんを後ろから抱きしめた。


嘘。 そんなのって、ないよ。

好きな人って、まさか.......


身体中から血の気が引いたみたいになる。

その場に立っているのがやっとだ。


力が入らなくなった腕から、ストンと水筒が滑り落ちる。

水筒が床に落ちた音で、ハっと我に帰る。


いけない。

早くバスまで持って行かなくちゃ。

つまらない理由でバスを遅らせるのは「悪」だ。


溢れそうになる涙をこらえながら、バス停まで走った。

頑張れ、あかね!!

今は絶対に泣いちゃダメ!!

バスを見送るところまでは、私の仕事。

こんなことくらいで、みんなに迷惑をかけちゃいけない。


「ありがとう、あかねちゃん。」

「.......え?」

「僕ね、平仮名、読めるんだよぉ。」


水筒を受け取り、嬉しそうに笑顔を向ける男の子の言葉に、ちょっぴり救われた。

そうだよね、ここはみんなが楽しくスポーツする場所だもん。

泣いたりしないで、笑顔でサヨナラしなくちゃ。


だから、その後、精一杯の笑顔で、手を振りながらバスを見送った。

真っ赤なスクールバスが、こみ上げる涙で霞んでしまうまで。
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