ワケあり彼女に愛のキスを


「出て行けって……どういう意味?」

終業後、書庫室に資料を返しにきた北川優悟が、中から聞こえてきた女の声に眉を潜めた。
時間は18時20分。
定時を一時間過ぎているこの時間なら、通常ならまだ仕事を終えている職員の方が少ない。
ただ今日は水曜日。会社が定めた週に一度の早帰りデー。

どこの課も定時になると同時に続々と帰宅準備を始め、優悟が配属されている融資推進部も、残すは優悟ひとりだった。
書庫に来るまでに他の課の様子も眺めたが、そこにはポツポツと開いたパソコンがあるだけで、ほとんどの職員は会社を脱出した後。もぬけの殻。

日中が嘘のように静まり返った社内。
それなのに聞こえてきた女の声に、優悟がそちらの方向へと視線を移す。

「言葉の通りだよ。分かるだろ? ほら、俺彼女できたし同棲しようと思ってさ。
一人暮らしだって言ってあったから、じゃあそこで一緒に住むって彼女が言い出したから」
「だって、出てけって急に言われたって……あの部屋、私が元々住んでた部屋だよ? それに彼女って……」
「あー、だから契約はそのままでいいからさ。おまえのままにしておけば敷礼いらないし、俺が彼女と別れたらおまえ、また戻ってくるだろ?
だったら契約変えない方がいいもんな」

「よし。それでいこう」と軽い調子で笑う男には見覚えがあった。

営業部の菊池秀一。
男性社員は基本髪染めは厳禁という規則があるにも関わらず茶色く染められた髪はツンツンと上に向いて立っていて、その下にある品も締まりもない顔つきと相まってどこかのヤンキーのようにしか見えない。
けれど口車のうまさで営業成績はそれなりらしく、上司に取り入るのも上手いのか、その髪型に対しての注意は今のところないらしい。

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