くるまのなかで

そしてこんな時に限って、私の天敵(だと勝手に思っている)、枕木賢司(けんじ)チーフが私を呼ぶ。

「おーい、小林」

「何ですか?」

この忙しい時に!と舌打ちしたくなる気持ちを抑え、口元だけの笑顔を見せる。

チーフはほんの少しだけ申し訳なさそうに切り出した。

「昨日は車の故障とか色々あって言うの忘れてたんだけどさ」

「はい」

この野郎、自分が忘れていたことを私の車のせいにしやがったな。

という気持ちを顔に出さないよう笑顔をキープ。

「今日これから新人研修頼むわ」

しっ……しんじんけんしゅう……?

「今日、これからですか?」

頑張ってキープしていた笑顔が脆くも崩れる。

「そう。今日、これから」

そんな大事なこと、どうして昨日のうちに言ってくれなかったの!

確かに昨日は少しだけ遅れて出社したけど、言えるタイミングはたくさんあったでしょう?

研修って、資料を人数分プリントアウトしたり、新人が使う事務用品を揃えたり、プロジェクターをセットしたりしなくちゃいけなくて結構大変なのに!

ギギギと、自分が奥歯を噛み締める音が頭蓋骨に響いた。

「わかりました」

「研修の間のSV対応は俺がやっとくから、よろしくー」

奈津さんはもうすぐ帰るし他にSVはいないんだから、チーフのあなたがやるのは当然でしょう?

口角だけは上げ続けた私を、誰か褒めて。

「ごめんね、梨乃ちゃん。息子がもう少し大きくなったら、私も研修やるからね」

奈津さんが申し訳なさそうに言う。

奈津さんは何も悪くないのに。

指示を忘れていたくせにそれを私の車のせいにした枕木チーフが悪いのに。

「大丈夫ですよ。チーフの無茶振りには慣れてますから」

私は軽くため息をついて、奈津さんにはちゃんとにっこり笑顔を見せた。

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