愛の答
大病・・・。
救えない人命。
全人類が生活するこの星の上に存在する病。
私は何度も医学書を開いた。
その度、小野君に見せてもらった携帯の写真を思い出す。
写真に写る幼子。
とても元気そうだった。
自称ボランティア医師なんて言ってるけど、
私の知識では彼女を救うことは出来ない。
それが、事実だからこそ、悔しさで胸が締め付けられた。
『私には助けられない・・・』

-立浪の話-
    
今頃、診察の結果が出た頃だろうか?
私は医学書を閉じ、ふと時計の針に目をやった。
午後六時五分前。
三時から診察の予約を入れたと言ってたけれど・・・かれこれ三時間。
単に、何の異常も見られなく、嬉しがっていて私に連絡を忘れているだけ?
それとも・・・
頭を振った。
前者に決まっている。
小さな命は、今も燈を灯しているのだろうか?
私には・・・あの子を助けられない。
何故、医学に限界があるのだろう?
日々挑戦を続け、限界突破を試みている世の中の医学者。
浮上した病・・・モルキオ病はあなた達でさえお手上げ?
答えのない医学書を読み続けている事により、答えは見つかる?
目の前の医学書の山。
その先で光る私の携帯。
小野君からの着信。
私は慌てて着信に出た。
『もしもし!?』
『もしもし。立浪さん、沙梨は無事です。ただ、俺は・・・父親失格です』

『ほら、これ持ってろよ』
不安の表情を隠せない沙梨に渡した俺の携帯のストラップ。
お守りにでもなればいいと思った。
沙梨はぎゅっとストラップを握り、診察室に入っていった。
俺と深雪と島津さんの三人は、ただただじっと待つ事になった。
神をも信じてしまいそうな心境と共に・・・。

-拓也の話-

『・・・』
『・・・』
『・・・』
誰一人言葉を発する者は居なかった。
廊下に置いてあるベンチに三人で腰を掛け、沙梨を待った。
かれこれ一時間は診察室に入っている。
何か見付かったのか?
いや、見付かるわけない。
沙梨は健康だ・・・ならば、この一時間という時は何?
時刻が四時を過ぎた頃、島津さんが腰を上げた。
『飲み物買ってくるけど、何飲む?』
久々の会話に俺は戸惑った。
深雪がお茶を頼んだ。
俺は飲めもしないブラック珈琲を頼んだ。
『ブラックなんて飲めたっけ?』
深雪の質問に、
『いや、飲めない。ただ、あいつの無事を確かめるまで寝ちゃうわけにはいかないから』
『・・・そうだね』
いつもなら、無神経とか言ってくる深雪。
その時は分かっていたのだろう。
寝られるわけがないんだ。
それでもブラックを頼んだ俺に深雪は表情を一切変えなかった。
今ここで、ブラック珈琲を頼んだ事も必然の一つ。
深い理由なんてないけれど、ここはブラック珈琲を飲んでおくべきだと思ったのだ。
『あいつ、線香花火うまいんだよ』
『・・・へぇ。知らなかった』
俺と深雪の会話。
『何本も何本も最後まで落とさないで居てさ』
『一方、パパは下手っぴでしたっていうオチ?』
『うるせぇ。その通りだよ』
時刻が四時五分を過ぎた。
【砂糖混入率零%】の、コーヒーが喉を通る。
渋い。顔を苦渋色に変える。
時刻が四時十分を過ぎた。
室温二十二、三度の空調がやけに肌に刺さった。
肌寒い。
時刻が四時十五分を過ぎた。
半分残留した缶珈琲が、まずく思えた。ため息。
時刻が四時三十分を過ぎ・・・
深雪の目から涙が落ちた。
『おかしいよ!』
深雪が泣き崩れた。
俺は深雪を支えてやる事が出来なかった。
深雪の言う通り、おかしかった。
いくら精密検査を受けているとはいえ、ここまで時間を要するか?
不安という感情が、五臓六腑の全てから吐き出されそうになる。
沙梨は何か大きな病を?
『二人は、これまで沙梨ちゃんの事をどう思ってきたの?』
俺と深雪への質問だった。
ふと、俺は島津さんを見た。
『沙梨ちゃんの為に、大変な鏤骨を重ねてきたでしょう?それは何故?』
『・・・なぜって』
『拓也君の中で、父親を意識した事はなかった?』
『父親・・・ありました。いや、今もあります』
島津さんが何を言いたいのか分からなかった。
『そうでしょう?深雪さんも母親を意識したはずよ。それは、沙梨ちゃんが自分の子供って事なのよ。
たとえ病気が見付かったと言われても、拓也君は父親らしく。深雪さんは母親らしく迎え入れてあげるべきだと思うの』
ここで、何となく島津さんの言いたい事が分かった。
要は、泣かずに笑って沙梨を迎え入れろと。
そんなこと・・・分かってる。
『分かってます』
分かってるけど・・・
『けど、俺にはそんな余裕ないんです。心の底からあいつが心配で』
『それは分かるけど、沙梨ちゃんの気持ちを考えて』
『・・・』
『沙梨ちゃんも、拓也君と深雪さんが泣いていたら必ず悲しむ』
『分かってます・・・』
『本当に?貴方達は今、沙梨ちゃんに会える?』
『・・・』
『今の姿で』
『分かってるよ!』
『!・・・』
静寂化していた廊下に俺の怒鳴り声が響いた。
『言われなくたって分かってますよ!
あいつを半年間育てたのは俺達なんだ!あいつの事何も知らないくせに、横から口出ししないで下さい!』
『拓!』
深雪が俺の暴走を止めた。
島津さんは驚いた様子で俺を見ていた。
心拍数が極端に上がった俺はしばらく島津さんを睨み付けていたが、
十秒前後で我に返り、
『す、すみません』と、再び沈黙化した。
けれど、我に返っても俺の言い分は通っていると思えた。
俺は沙梨の父親で、沙梨の母親である深雪と半年間育ててきた事実がある事。島津さんが黙って席を外した。
俺と深雪はただただ我が子を待った。
< 24 / 56 >

この作品をシェア

pagetop