愛の答
比翼連理
凱歌に誓って強く思う。
自分自身、凄く情けないけど、俺は正論。
歩みたくもない、正式な道を俺は歩いてるって。
空調が効いていない錯覚に陥る。
実際は、俺の体温が上昇しただけであり、空調は維持されていた。
なぜ、島津さんに怒鳴り散らしたかは定かではない。
俺達の事を考えた上でのアドバイスだったと思う。
けれども、俺の中で沙梨を守護する意識が急激に高まってしまった。
沙梨に対して過敏になっている事は否定出来ない。
しかし、同時に強い心が芽生えたのも事実だ。
親というものはこういうものなのだ・・・。
『わりぃ・・・怒鳴っちまって』
『別に、拓は私に怒鳴ったわけじゃないし、謝らないで。
それにね、私は今心から救われているんだよ』
『・・・どうして?』
『沙梨ちゃんが私達と住み始めた頃の拓は、もうここには居ない。
島津さんに対して怒鳴った時、拓が凄く父親らしく見えた。
凄く、凄く嬉しかった』
『・・・』
『拓と一緒になれて幸せよ』
『・・・俺だけじゃないだろ。沙梨がいないと、俺達は駄目だろう』
『そうだね。沙梨ちゃんにはたくさん学ばせてもらったね』
『勝手に過去形にするなよ。あいつに病が発見されたとしても、今まで通りだよ。まだまだあいつから学ぶ事がある。現在進行形。いや、未来形かな』
『そだね』
深雪が俺の肩に頭を軽く乗せてきた。
『少し寝てろよ。今日朝早かったし、昨日も寝付けなかったろ』
『お互い様でしょ?それに、私には母親としての義務がある』
『・・・そっか』
父親としての義務。
俺は、沙梨の父親なんだ。そう、心に誓った。
笑って帰ってこい。

あいつは、泣いていた。
一人、暗い闇の中で、大声で泣いていた。
四方八方わからぬ土地で、一枚の手紙を握り締め泣いていた。
『私・・・名前?名前って・・・何?
私の?私の名前?私の名前・・・私の名前は・・・
さ・・・り・・・さり、さり!ってね。
凄く混乱してたんだと思う。
いきなり独りぼっちになっちゃったんだもんね。
けれど凄く嬉しかったな。沙梨ちゃんの名前を聞き出せた時は』
『へぇ。俺が外で煙草更かしてる時にそんな会話を』
沙梨を発見し、本屋の駐車場で質問を質問で返す沙梨に俺は頭にきて、外に出ていた。
その時の車内の会話を深雪が教えてくれた。
『ん?ちょっと待てよ。沙梨って名前は出ても、漢字はどうやって?』
深雪が一瞬申し訳なさそうな表情を見せた。
『ん・・・お前まさか』
深雪が眉を八の字にさせながら頷いた。
俺は笑った。
『はは、マジで?沙梨って漢字深雪が勝手に付けてたんだ!?』
『だってさ、警察に書類出す時に名前に関する記入欄があってさ。
名字は分からない分からないの一点張りだったし、
【さり】って書くのも何だから・・・』
『綺麗な名前だと思うよ』
『でしょ?問い詰められるかなって覚悟してたんだけど、今拓に言われるまで誰にも言われずにこれたよ』
『【沙梨】って言う漢字が一番メジャーなのかもな。
だから不思議に思わなかった』
『私の作戦勝ちね』
深雪が薄く笑みを作った。
廊下の天井に設置された幾つもの蛍光灯。
俺の視界に入ったその内の一本が、時折発光を断念していた。
二人が黙ると、周辺は怖いくらいに静寂化した。
まだ夕方五時前だ。
当然、他の患者や、病院関係者が何人も廊下を歩行している。
それでも尚、二人は異次元空間に取り残されたような錯覚に陥った。
それを恐れた深雪が、割と大きめの深呼吸をした後、言った。
『・・・笑わないって約束してくれるのなら、話したい事があるの』
『!・・・何だよ、改まって』
『約束出来る?』
『何の話だよ?』
『・・・私が事故を起こして記憶を失っていた時の話』
『!』
二年前。
深雪は車両による事故を起こした。
現場は緩いカーブ。
中央線を大きくはみ出して来たトラックを回避する為に、
深雪はハンドルを切った。
左側に車両は逸れたが、縁石を乗り上げ、石製の壁に正面衝突した。
以上の事故内容は、現場検証を行い、更にトラックを運転していた者からの証言を照らし合わせて警察から聞いたものだった。
深雪は・・・覚えていない。
事故時、頭部を強く打ち付け、記憶を一時的になくして居た。
『・・・』
何故、今あの時の話を?
不思議には思ったが、深雪の言葉を待った。
『沙梨・・・さっき、作戦勝ちなんて言ったけれど、実際は違うの』
『・・・つまり?』
『明確に頭の中に記憶していたの』
深雪の言っている意味が正直分からなかった。
『あの事故の後・・・って言っても、事故の瞬間も私は覚えていないんだけどね。
拓は拓の道を生きようとした。
勿論私は私のね。
それを引き戻してくれたのが・・・彼女だった』
『彼女?』

時刻が五時を過ぎた。
沙梨が診察室に入ってかれこれ二時間。
俺と深雪はじっと我が子を待ち続けていた。
島津さんは戻ってきていない。
外の景色が段々と闇に包まれていく。
二人の間を飛び交う会話・・・
『彼女って?』
俺の問いに対し、
『笑わない・・・約束する?』
俺は首を縦に振った。
『うんとね・・・』
ここで深雪が一つ息を吐いた。
『本当に笑わないでね?真剣に聞いてほしいんだ』

-深雪の話-
    
『貴方が深雪さんね?』
私はこの質問に答えられずに居た。
『違うの?』
『・・・分からない。貴方は誰?』
『とりあえず、どうも初めまして』
『初め・・・まして。
え?てか、何?
どこから話してるの?
私は・・・どこに居るの?』
見渡す限り、いや、正式には何も存在していなかった。
自分自身の体も見えないし、ただ脳に直接届く声。
それが、女性の声だという事は確かだった。
女は私にこう告げた。
『深く考えないで。私も利口じゃないから詳しくは説明出来ないの』
『・・・そう』
『私は、あなたと少し話がしてみたかった』
『・・・話がしてみたかったって言われてもさ。
正直、自分の名前も曖昧なわけでさ・・・
ちょっとは焦らないとまずいと思うわけ』
『平気よ』
『平気って・・・これは私自身の問題だから、
貴方に振り回される必要がない・・・と、思う』
『じゃ、手短に済ませるから』
『・・・分かった』
了承したものの、何を済ませるかさえ分からない。
『深雪さん。あなたは今、自らの事故により記憶に障害が起きているの』
『・・・それ、信じると思う?』
『じゃ、貴方の故郷はどこ?』
『・・・』
思い出せない自分に腹が立った。
私が記憶喪失に陥っている?事故で?
笑わせないで・・・けど、信じるしかない現実。
『小野拓也を御存じ?』
『・・・誰それ?・・・あ!分かった。
記憶が無くなる前の私の彼氏だ!』
『正解』
『・・・マジで?』
当てずっぽうで言わなきゃよかった。
『知らない!誰それ!』
『記憶が無くなる以前付き合っていた事は事実よ。
ただ、記憶がない貴方の側に彼は居ない』
『・・・最悪だねその男。
普通そういう場合ってさ、記憶が戻るのを待つもんじゃない?』
『貴方が突き放した』
『・・・そりゃ、記憶がないんだもん仕方ないでしょ』
『そして、貴方は違う男性と付き合った』
『・・・』
何となく、浮遊する声が言っている事が嘘ではないって事がわかった。
確かに最近、側に固定の男が居た記憶がある。
『その男性の中では、貴方は選択肢の一つだった』
『・・・要は遊ばれてんだ?』
『正確に言えば、遊ばれてた。今、その男性とは関係が切れている』
『・・・どうやって切ったか覚えてない』
『小野拓也が彼に制裁を与えた』
『・・・いわゆる、鉄拳制裁?
何?小野拓也は暴力男?』
『貴方に危害を加えた事はない』
『・・・ふぅん。なぜ、制裁を?単に』
『そう。深雪さんを想っての行動だった』
そう言われてもな。困るよ。
二人の間に沈黙の間が流れた。
私が間を裂いた。
『で、貴方は何者?
今の話からして、私とその小野 拓也っていう男の付近に居た事は間違いないよね』
『私は、彼女』
『・・・小野拓也の?』
『そう。貴方との関係や、制裁を与えた事は彼から全て聞いた事。
彼とは半同居みたいな生活だから』
・・・なんか、むかついた。
『なんか、腹立つな。
その甘ったらしい生活を、元彼女である私に言う必要性がないと思う』
『その生活も、今日を区切りに終わる』
『・・・フラれたの?』
『・・・さぁ。どうなんだろう』
曖昧な答えに、私は言葉を詰まらせた。
『私が言いたいのは、一つだけなの』
『・・・何?』
女は暫く黙り込んだ。
その間の意味なんて私には分からなかった。
『・・・私は拓也君の事が好きなの』
『・・・やっぱりフラれたんだ』
『そうかも。ただ、個人的な話をすると、私は貴方に負けないよ』
ザワ・・・
『!・・・?』
自分の中で何かが動いた。
今のは・・・何?
『私と拓也君の関係は短い期間であったけど、私の気持ちは長期間付き合っていた深雪さんにも負けない。これが言いたかった』
『・・・なんか』
本気でむかつく。
何だろう、この感情。
別に知りもしない男なのに・・・
自分の物にしたくて・・・この子に奪われたくない。
今の私に、その男との過去の記憶は一つもないけど、
何か・・・この子に負けない物を私は持っているような気がした。
それが、私の意識とは関係なく言葉として吐き出された。
『冗談・・・言わないで。貴方なんかに取られる覚えはないよ』
『!・・・』
『拓也は私の男だから。気安くあいつの彼女気取りなんてやめてよ』
『記憶がないのによくそんな事』
『うるさいな!私から出ていってよ!』
『私以上にあの人を想えないでしょ!?』
『だから、気安く彼女気取りしないで!』
いつの間にか・・・涙が流れてた。
もちろん、影も形も見えない自分自身だから、涙も存在しない。
けれど、分かるんだ。
頬を伝う熱が、私を激情化させている。
ここで、引いたら私は後悔する。
その男が私の為に差し出してくれた手。
私はその手をしっかりと捉まえる義務がある!
『私から出ていって!』
私の叫び声は闇に放り込まれたかのように消えた。
静寂化した辺り。
頬に残る熱だけが、私自身の存在を示していた。
『?・・・私、何してるの?』
ふと、頭の中を整理した。
『えっと・・・』
私の名前は、深雪・・・彼氏の名前は拓也。
記憶が蘇る感覚。
抜け落ちた色彩が脳を強く刺激した。
やがて・・・
『もうすぐ、目が覚めるよ』
女の声。
『・・・うん。あのさ、聞きたいんだけど。拓と居てどうだった?』
『私は楽しかったよ。あの人は・・・私の全ては見ていなかったけど』
『そっか。あいつ最悪だねぇ』
『本当だよ』
『目が覚めたら伝えておくから』
『うん。【ありがとう】』
もう、貴方に会う事は出来ないだろうけど、私と一緒に歩いていこうよ。
『【沙梨】・・・私の名前』
『・・・バイバイ、沙梨』
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