愛の答
価値観の明確化
呆然と立ち尽くした。
泣きじゃくるだけの子供。一枚の紙に書かれた一文。
【あなたにとって愛とは何ですか?】
『た、拓!』
『・・・』
『ねぇ!拓!』
『!え!?どうした?』
目の前の状況を受け入れられずに居た俺は、深雪の呼びかけに対し、
動揺しながら返答した。その際、少し声が上ずった。
『とりあえず車に乗せようよ?ほら』
ふと周りを見渡すと、駐車場に居た人達が俺達を見ていた。
まるで我が子を叱っているような光景・・・そんな目で見られた気がした。
『そ、そうだな。ほら、乗れよ』
後部座席に子供を乗せ、慌てて俺と深雪も車に乗り込んだ。
『くそ・・・何なんだよマジで』運転席に座りながらぼやく。
『とりあえず、ここじゃあれだから・・・』と、深雪が案を出した。
二人とも気が動転していたのは事実。その場で警察に連絡を取るのが
セオリーであったのだろうが、二人は世間の目を気にした。
食事を摂った店と国道を挟む形で正面に大きな書店があった。
そこに車を移動させようと言うのが深雪の案だった。
駐車場から車を発進させる。
その間、深雪が慌てて子供を煽てるが、泣き止む気配はなかった....。            
書店駐車場の裏側に駐車し、ギアをPのポジションに入れる。
『何なんだよ!・・・マジ』
『私に言わないでよ。分かるわけないじゃん』
『・・・そりゃそうだけどさ』
後部座席へ振り返り、泣き止まない子供を見た。
『おい、お前いくつだよ?』
『そんな聞き方ないでしょ!?』
子供は相変わらず泣き止む事はなく、深雪が後部座席に移り必死に泣き止ませようとしていた。
意味が分からない・・・ちょっと待てよ?これは拉致とかにはならないよな?と、俺の心に小さな不安が過る。
平凡で普通過ぎる毎日に飽きがきていたとはいえ、こういう出来事は決して求めていない。
やがて、あのうるさい泣き声が静まった頃・・・深雪が子供に問う。
『ねぇ、君名前は?』
『・・・』無言を通す子供。
『パパは?ママはどこに居るの?』
『・・・』二度目の無言に苛立ちを覚えた。
『おい、お前口あんだろ!?』
『ちょっと拓!恐がってるじゃん!』
『自分の名前も言えないのか!?』
子供は右手人差し指を口元で踊らせながら、ぶつぶつと何か言葉にした。
『え?何?』
深雪が子供の背中を擦りながら問う。
『名前・・・』
『え?』
『名前って、何?』
意味がわからなかった。この年頃の子供は、名前という単語の意味を
理解していないのだろうか?俺はその程度の解釈で済ませた。
しかし・・・
『名前は・・・なくちゃ駄目なの?』
『?』完全に疑問符を頭上に浮遊させた。
まぁ、所詮幼児が口にする、【曖昧な質問】だろう・・・この時はその程度の事しか考えていなかった。
『何?』
『名前って・・・名前って何であるの?』
『・・・じゃあ、俺はお前の事を何て呼べばいいんだ?』
『・・・』
子供の顔が歪み始める。また泣き付くつもりか?
『ごめんね!ごめんね!』
深雪が慌てて子供の気分を損なわぬよう煽てる。
『名前がないと不便・・・あぁ、不便というか』
深雪が答えに迷った。
子供は深雪の答えを興味津々そうに待った。
こんな小さな子供に、【不便】など分かるわけがない。
その質問事項を俺が切り裂き、問う。
『年は?いくつだ?』
『・・・年?・・・年。あの、何で年はいっぱいになっていくの?』
『・・・』
頭が痛くなった。いっぱいになる?それは年を重ねる事を言っているのだろうが・・・答える気になれなかった。と言うより、明確な答えが出なかった。
『くだらね・・・深雪、降ろせよ』
『え?』
『え?じゃねぇって・・・俺達には関係ねぇし、警察に一本連絡入れとけば問題ないだろ?』
『それはそうだけど・・・』
『早くしろって。拉致だの誘拐扱いされたらたまんねぇよ』
その時、再び癇癪が車内で拡散した。
名の必要性を問う少女が泣き出したのだ。
『うるせぇなぁ!降ろしてバッくれるぞ!』
『そんなこと出来るわけないでしょ!?仮にもまだ二歳とか三歳とか・・・
その年頃だし』
『関係ねぇよ!』
『いいから黙ってて!私が面倒見るから!』
『面倒見るからって、意味分かんねぇよ!』
バンと強くドアを閉めた。俺は車を下り、縁石に座り込み頭を掻き
毟った。

白い煙がもくもくと空に舞い上がる。
ふと下を見ると、すでに十本近い吸い殻。
かれこれ二時間はこうしている。
辺りはすでに真っ暗で、時刻はPM九時を指していた。
十何本目かの煙草を地面に擦り付け、車のドアを開けると、
深雪と子供が後部座席に置いてあったクッションで遊んでいた。
『よぉ、いつのまにか随分と打ち解けたみたいだな』
『拓ねぇ、あんたおかしいって。こんな寒い夜に二時間近くもふてくされて外にいるなんて』
『ふてくされてなんてねぇよ!単にこのガキの質問に対する質問返しに頭きたから、冷やしてただけだって』
『ガキじゃないもんねぇ?沙梨ちゃんはもう三歳だもんねぇ?』と、
笑いながら深雪が子供と共に首を傾げながら言った。
沙梨・・・試行錯誤して深雪が聞き出したのだろう。
沙梨は穏やかな表情でクッションで遊んでいた。
『で、どうするんだ?』
深雪は苦笑いしながら、『分かんない』と答えた。
『とりあえず警察だろ?』
『駄目!』
『!・・・』
深雪の表情が厳しくなった。
『何だよ....迷子だし。普通警察じゃねぇか』
『おかしいじゃん』
『何が?』
『迷子なら私達がこうしていた二時間弱の間に、警察が動いているはず。
けれど、迷子になったあの駐車場に、警察どころか、この子の親らしき
人物も姿を見せていないし・・・』
確かに・・・そう思いながら国道を挟んだ反対側の駐車場を見た。
『何よりこの手紙が気になるの』
『・・・気になるって言ったって、理解不能だよ。
たとえ重い話、捨てられたとしても警察じゃねぇか』
『自分の子供を捨てる親だよ!?警察が探したって親は出てきやしないよ』
『なら施設かなんかに』
『簡単に!・・・簡単に言わないで!』
『・・・何怒ってるんだよ?』
深雪は眉間に皺を寄せて、
『簡単に・・・言わないの。施設に入った子供が幸せに育ったなんて話、ほとんどないんだよ』
『ま・・・そうだな。だけどどうしろって言うんだ?』
深雪は沙梨の手を握りながら悩んでいた。
辺りは暗闇に包まれており、段々と書店屋の客も減ってきていた。
『・・・悩んでたって仕方ねぇだろ。とりあえず家連れてって、
うちの両親に相談するよ。勿論お前の言い分も含めてよ』
『・・・うん・・・ごめん』
『ふざけんなよ。謝られる筋合いなんてさらさらねぇよ』
こめかみを軽く掻きながら、ハンドルを握った。
『あ、拓ちょっと待っててもらえる?』
『ん?別にいいけど』
深雪は車のドアを開放し、沙梨を連れて本屋に入っていった。
しばらくしてから戻ってくると、沙梨が大事そうに一冊の絵本を抱えていた。『これくらい・・・いいよね?』
『だから・・・いちいち俺に許可とるなよ』
『うん。じゃ、行こう』
車を出し自宅へ帰る。
その途中、沙梨は眠りについていた。
時刻は十時を過ぎている。こんな幼い子供であるのだ、無理もない。
しかし、その間も深雪に買ってもらった絵本を手放すことはなく、しっかりと抱え続けていた。

『んんん....』俺の両親は同時に声を上げた。とても低い迷いの声。
暫くしてから、親父がビールを飲み干してから言った。
『確かに深雪さんの言い分は分かる。施設育ちはいい噂を聞かないし、現実的に幸せには程遠い生活が待ってるだろうな』
お袋が新しい瓶ビールを持ってきて、親父のコップに注ぎながら言った。
『けれど、ずっとこの家で育てていくわけにはいかないでしょう?いや、家計状態とかそういうのは抜きにして、世間体がね。捨て子を育ててるなんて、あまり良くは見られないと思うから』
反発すべきポイントが一つも見当たらなかった。まさにその通りだと俺は思ったし、深雪も思っているだろう。
うちの両親が言うことはいつも正しかった。現に、これから二年、三年、沙梨が小学校入る頃には多くの問題が出てくるであろう。
深雪も考えに考えたあげくの結果だったらしく、それ以上の答えは出せずにいた。
俺、深雪、両親は四人でテーブルを囲い悩んでいた。
そして、『仕方ない・・・』と、親父が切り出した。
『やれるべき事はやっておこう。まずは警察への届けだ。そこでこちらの考えを考慮して貰おう。親御さんが考え直してくれるまでの間、うちで引き取らせてはもらえないか?といった具合にな。まぁ、今の法律上、人様の子供を両親の許可なく家に置く事は難しいだろうが・・・』
親父以外の三人は一斉に頷いた。深雪は涙を流しながら、ありがとうございます、と何度も礼を口にしていた。
正直俺は、その礼は無意味だと思っていた。親父の言う通り、赤の他人の子供を許可なく預かるなんて・・・。養子でもない為苗字も戸籍上異なる。
苗字の異なる人間が同じ屋根の下で暮らす事など不可能だと思っていた。
しかし、翌日の午後、俺は開いた口が塞がらなく成る現実に突き付けられる。警察がこちらの案を許可したのだ。まさかの展開に、満面の笑みを浮かべる深雪。その姿を見て、正直何か胸に引っ掛かるものを感じた。
なんにせよ、この日から奇妙な生活が始まった。
まだ寒い、二月の話だった。

『ぐぇぇ!』
腹部に強烈なボディープレスを受けた。
『朝だよ!』
『・・・こ、このガキ』あの日以来、毎朝かけていた目覚まし時計は必要なくなった。
なぜかいつも決まった時間に沙梨が俺にボディープレスを仕掛けてくるのだった。
『おい、今日は日曜なんだよ。分かるか?日曜日はボディープレス禁止だ。分かったか?』
『プルキュア始まるよ!』
『・・・お前人の話聞けよな』
プルキュアとは、朝早くからやっている幼児向けの番組の事だ。
『ほら、見てろよ。俺は寝るんだ』と、番組をつけて俺は再び布団に入る。
『ねぇ!じぃ!一緒に見よう!』
『な!・・・だ、誰がじぃだよ!俺の名前は拓也だ!分かるか?せめてパパって呼べよな』
・・・ん?パパ?
悪い夢であってくれ・・・この年で三歳児のパパって。早朝から強く神に願った。
『あ!始まったよ、じぃ!』
『だから!うざってぇな!誰がじぃだよ!深雪の所行けよ!』
沙梨は張り合いのない顔付きになり、少し悲しそうな表情を見せた。
『・・・』ちょっときつく言い過ぎたか?と、己の発言を考え直す。
『・・・わ、悪かった沙梨』
布団から顔を完全に出し、謝罪の気持ちを三歳児にも伝わるように努めた。
『ママ!ママ!じぃが一緒にTV見てくれないの!』と、そそくさと下の階へ行ってしまう沙梨。
俺の部屋を出て行った沙梨の残影を目蓋の後ろに残しながら思った。
あのガキ、深雪はママで俺はじぃかよ・・・。
まず、打ち解けるのが早過ぎだろう!?深雪はともかくなぜ俺にまで・・・。
『ちょっと拓!TVくらい一緒に見てあげなよね!?』
下の階から深雪の声が聞こえた。俺は布団にくるまり黙殺した。
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